歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「春日部市一の割下川」

今日(2024年1月18日)は、1月15、16日と違って、風もなく、暖かく(近隣の越谷市の最高気温14.4℃)、穏やかな一日であった。

ダウンを着ていると暑い位だった。

武里駅から歩き始めたのだが、すぐ脱いでリュックにしまいこみ、帰るまでずっと着ないですんだ。

こんな日ばかりだといいのだが、めったにないね。

武里村地域を探索するのは今回が初めてだった。

調べる前は、武里村の存在自体知らなかった。

武里村の歴史を簡単に振り返ってみよう。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、備後村、一ノ割村、薄谷村、中野村、大場村、大畑村、大枝村、増田新田が合併し南埼玉郡武里村が成立する。
村名は「蔵野の」に由来している。

1954年(昭和29年)7月1日
南埼玉郡春日部町、豊春村、北葛飾郡幸松村、豊野村と合併し春日部市となる。

ほぉー、随分前に春日部市と合併していたんだな。

町になっていなかったんだ。

村時代のものは70年以上前か。

そうなると発見するのは難しそうだねぇ。

ほとんど情報がないが、さあ、探索開始!

と言っても最初に紹介するのは、帰宅駅「一ノ割駅」に向かう途中で発見したもの。

発見日  2024年1月18日

発見場所 埼玉県春日部市一ノ割二丁目

春日部市大字一の割字下川」

「一の割」とひらがなで書かれている。「一ノ割」とカタカナが正しいと思ったが、調べてみると「一の割」となっているのも少なくなく、混在しているようだ。

一ノ割の由来

「一ノ割」は、古くは「下総(しもうさ)の国」に属し「市野(いちの)割(わり)村」と呼ばれていた。
その後、田畑となっている土地を、一ノ割、ニノ割と分けて呼んだ事から、明治時代には「一ノ割村」となった。