歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

琺瑯町名看板 東京都北区田端新町2丁目12

発見日 2021年9月11日

 

田端駅を降り、荒川区方面へ向かう途中だった。この辺は歩いたことがあるかなと思いながら歩いて、ふと見ると、上半分だけの、広告部分が切れ取られた琺瑯町名看板を発見した。半分だけの琺瑯町名看板を見たのはこれが初めてだった。
ネットでも見た記憶がないし、町名看板の所在シールを貼った地図にも記録がない。これは新発見かと思い、喜び勇んだ。

しかし、家に帰り調べたところ、すでに目撃情報があった。そう、以前既にこれをネットで見つけていて、目撃情報を元にいつか確認するつもりでいたのだったが、それをすっかり忘れていたのだった。

でも、今回この機会に出会えてよかったと思っている。出会えなければ、忘れたままだったかもしれない。

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琺瑯町名看板 東京都北区王子4丁目22

発見日 2021年9月7日

目撃情報があったので、気になり確認しに行ったものになる。

このような調べつくされているような場所で今まで発見されなかった理由を調べてみた。ストリートビューで確認してみたところ、2020年7月までの画像しかないが、現在設置されている木の下の方に放置されていて、更に周りにある木の葉に隠れていたからかもしれない。
その状態だったのを切られた木の幹に設置してくれたおかげで、発見に至ったのだろう。
町名も現町名だったからかもしれないが、捨てないで設置してくれたことに感謝である。

消滅を免れ、東京都内の現存琺瑯町名看板がまた1枚増えたことになり、喜ばしいことである。

尚、広告主である「室岡商店」はもう存在していないようである。

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初見の琺瑯町名看板について

久しぶりいうわけでもないが、「悠久の思い出」さんの町名看板をページを見て驚いた。

東京23区のところにNew!のマークがついているので見たところ、大田区の地図にNew!のマークがある。大田区の欄を見ると私が初見の琺瑯町名看板としてした紹介した琺瑯町名看板が2件掲載されていた。

さらに、未撮影の一覧の中に私が初見の琺瑯町名看板としてした紹介したさいたま市琺瑯町名看板の住所が4件newとして掲載されていた。そのうちに町名看板の埼玉県の欄に掲載されるのだろう。

これらは「悠久の思い出」さんご自身かどなたかが発見して「悠久の思い出」さんに連携した可能性もあるが、日付を見るとタイミング的には、私のブログを見て「悠久の思い出」さんに連携してくれた可能性の方が高いと思われる。
「悠久の思い出」さんには一方的に散々お世話になっており、私のブログを訪問してくれるだけでうれしいので、何も言うことはないが、自分が連携していれば、「citywalk2020さん画像提供」と掲載してくれたかもしれないのが少し残念だ。
今まではtake onlyだったが、これでほんの少しはgiveができたかもしれない。
まだ、いくつか掲載されていないものがあるので、自分で「悠久の思い出」さんに連携しようと思ったが、それは、どなたかにお任せしよう。
合わせて消滅情報も連携していただけるとありがたい。

「東京都中野区東中野2丁目21」と「神奈川県横浜市磯子区磯子2丁目21」以外は現地に行けばすぐ見つかるだろう。
(今、気が付いた。両方とも住所の丁目・番地が「2丁目21」だ。)

「東京都中野区東中野2丁目21」は、ストリートビューで確認してみると、ストリートビュー上では設置してある道には行けないようになっているが、遠目でかろうじて確認することができた。
「神奈川県横浜市磯子区磯子2丁目21」は、塀で隠れているため、ストリートビューでは確認できない。現地確認するしかないだろう。

お近くの方がいたら、探してみてはどうだろうか?

琺瑯町名看板 更新情報(2021年9月12日)

過去投稿した記事の更新情報はお知らせしない予定でしたが、写真の追加等お知らせした方がいいと思った場合はお知らせすることにしました。

琺瑯町名看板 埼玉県さいたま市(旧埼玉県浦和市)に⑩浦和市別所2丁目27(現さいたま市南区別所2丁目27)を追加しました。
目撃情報を発見したため、本日現地訪問し、撮影したものです。

これを含めると旧埼玉県浦和市内(現埼玉県さいたま市)に現存している琺瑯町名看板は10枚となりました。

旧町名 北足立郡谷田村大字大谷口向原

旧町名の初投稿は、地元、埼玉県さいたま市からとなる。

発見日  2020年12月21日

発見場所 埼玉県さいたま市南区大谷口

武蔵野線沿いを歩いていると、前方に道の両側に樹木が生い茂った下り坂があり、薄暗く少し気味が悪かったが、思い切って下っていったところ、右側に長屋門があり、その右上に表札が2枚掲げられていた。

その表札を見て驚いた! なんと北足立郡谷田村時代のものではないか!
と驚いてみたが、北足立郡はいつの時代?

ということで、北足立郡谷田村の歴史をたどってみた。

1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編成法の埼玉県での施行により、足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。

郡名はそれまでの足立郡を埼玉県に属する地域と東京府に属する地域に分けた際、北にあたる埼玉県側を北足立郡、南にあたる東京府側を足立郡としたことによる。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴って大谷場、太田窪、大谷口、広ヶ谷戸、円正寺と原山新田の五箇村一新田が合併し、北足立郡谷田村が成立。

1932年(昭和7年)4月1日
浦和町へ編入され、消滅。

官報第一五七六号(昭和七年四月四日)
○村廃止町区域変更
町村制第三条第一項に依り本月一日より北足立郡谷田村、木崎村を廃し谷田村の区域全部及木崎村の区域中大字上木崎、大字下木崎、大字領家、大字瀬ヶ崎、大字駒場、大字本太、大字針ヶ谷を同郡浦和町に、同村大字北袋を同郡大宮町に編入せり
昭和七年四月 埼玉県

1934年(昭和9年)2月11日
浦和町が市制を施行し、浦和市となる。

となっており、消滅が1932年(昭和7年)ということは、90年以上前から存在している可能性がある。
今のところ、旧浦和市内で確認したもの中で廃止日の古さでは最古のものである。

その表札がこれである。

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材質は、金属と思われ、周辺は少し錆びているが、文字ははっきり読み取れる。

今後も貴重な歴史遺産としてぜひ残し続けて欲しい。

 

旧町名の世界へようこそ

街歩きをしていると、表札にある住所と付近に設置されている街区表示板や町名表示板、住居番号表示板の住所が違うことがあることに気が付いた。

また、町会の掲示板、バス停、公園名、学校名、電力柱や電信柱のプレートなどについている名称も現地名と違うことがあり、なぜ違うのか疑問に思ったこともあった。

自分のことで恐縮だが、埼玉県浦和市(現埼玉県さいたま市)に引っ越してきた頃(1970年代前半)、年賀状の自分の住所に「埼玉県浦和市大字○○字○○」と書いていたことを思い出した。

このようなことがあり、町名について調べていたところ、東京都の旧町名については「旧町名をさがす会」さん、埼玉県の旧町名については「埼玉の古い地名を探す」さん等エキスパートのサイトがあることを知り、旧町名の深遠な世界に足を踏み入れたいと思った。

ちょうど琺瑯町名看板の探索がほぼ完了しかけていて、次の探索テーマを探していたところだった。 

旧町名探しは、ネットでの情報収集後、古地図と現代地図を比較して位置を確認したり、世田谷区のように自治体によっては住居表示前後の情報がホームぺージに掲載されていることもあり、これらを参考にして、現住所を確認したりしている。
古地図は東京35区時代の物が参考になることが多いが、すべて揃えているわけではなく、また、自治体の情報もないことも多いので、その場合は、地道に現地での探索となる。現地では、スマホ交通機関にほとんど頼らず、基本的に現代地図と徒歩という前近代的なスタイルである。

旧町名をネットで情報収集して探すということ自体、何の情報もないところから探すという本来の旧町名探しとは言わないのかもしれない。
先駆者の功績をたどるということになるので、意味合い的には、探すというよりは存在を確認しに行くことになるのだろう。
そうはいっても探してる旧町名が見つかると素直にうれしい。また、棚から牡丹餅的に、先人が発見していないと思われる旧町名をまれに発見することもあるので、これはご褒美、おまけだと思っている。

旧町名の探索対象は、主に家屋等に設置されている表札、住所プレート、電力プレートとなるが、寺院、神社等宗教施設に設置されているものも対象にすることもある。いわゆるハードモードではなく、イージーモードである。
その痕跡は、古い建物、門柱にあることが多いが、必ずしもそうではない。新しいものに残っているケースもあり、すべてを根気よく丁寧に確認していく必要がある。(歩き疲れてくると探索が雑になり、発見率が低下する。)
見つかる時は見つかる、見つからない時は見つからない、見つかるか見つからないかは、ほとんど運ではないかと思うことがある。
この場面で使うのはふさわしいかどうかは別として、「運・鈍・根」という言葉が当てはまるのではないか。「運が良いこと、粘り強いこと、根気があること」、なんかぴったりする。

遠目に立派な門柱を見つけると、期待に胸膨らむが、近寄ってみると、表札が削り取られていて(えぐり取られていてという表現の方が、適切か?)穴が開いたままになっているものや表面だけ壊されているものに出会うことがある。確実に旧町名だっただろうにと思うといたたまれなくなる。

また、折角それらしき表札を見つけることができたとしても、現住所になっている、住所の文字の全部、一部が消されている、上書きされている、シールが貼られていることがある等、残念な思いをすることも少なくない。
特にシールが貼られていると下に書かれている住所を確かめたくて、はがしたい衝動に駆られる。
また、木製の表札の場合は、読み取れなくなっていることが多く、これが読み取れれば、更に旧町名の発見率が高くなるのではないかと思うことがあるが、無理な話だ。

対象地域は、現在のところ、東京都と埼玉県がほとんどであるが、一部関東他県も含んでいる。

昭和、平成を経て令和の時代となり、かなりの旧町名の痕跡が消滅していると思うが、遅ればせながら、令和の時代に運よく残ってくれている旧町名を紹介していきたい。

※表札等に記載されている個人名、法人名、アパート名、電話番号には、モザイクをかけている。

当ブログにご訪問してくださった皆様へ

ブログ開設からもう少しで1ヶ月になりますが、おかげさまでトータル100アクセスをいただくことができました。

数あるブログの中から始めたばかりの当ブログをどのような経緯でご訪問していただいたのかわかりませんが、感謝いたします。

元々、自分の写真整理が目的で始めた様なブログで、更に60の手習い的に始めたばかりの拙いブログにアクセスしてくださる方がいるとは思ってもいませんでした。

公開している記事は、自分自身の勉強の意味もあり、内容を充実すべく、随時見直して更新しています。
更新内容は特に記載していませんが、昨日見ていただいた記事が今日変わっていることもあるので、ご興味がある方は、一度見ていただいた記事も再度訪問していただけると新しい発見があるかもしれません。

投稿日は不定期ですが、毎週数件投稿する予定です。他の曜日も記事が書ければ投稿しますが、水曜日、金曜日、日曜日が多いです。

今後の予定としましては、東京都シリーズの琺瑯町名看板や電力プレート、非琺瑯町名看板、旧町名、住所プレートなど整理ができ次第、順次アップしていきます。

ご興味がある方は是非お立ち寄りください。

それでは、今後ともよろしくお願いいたします。