歩・探・見・感

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旧町名 北足立郡谷田村大字大谷口向原

旧町名の初投稿は、地元、埼玉県さいたま市からとなる。

発見日  2020年12月21日

発見場所 埼玉県さいたま市南区大谷口

武蔵野線沿いを歩いていると、前方に道の両側に樹木が生い茂った下り坂があり、薄暗く少し気味が悪かったが、思い切って下っていったところ、右側に長屋門があり、その右上に表札が2枚掲げられていた。

その表札を見て驚いた! なんと北足立郡谷田村時代のものではないか!
と驚いてみたが、北足立郡はいつの時代?

ということで、北足立郡谷田村の歴史をたどってみた。

1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編成法の埼玉県での施行により、足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。

郡名はそれまでの足立郡を埼玉県に属する地域と東京府に属する地域に分けた際、北にあたる埼玉県側を北足立郡、南にあたる東京府側を足立郡としたことによる。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴って大谷場、太田窪、大谷口、広ヶ谷戸、円正寺と原山新田の五箇村一新田が合併し、北足立郡谷田村が成立。

1932年(昭和7年)4月1日
浦和町へ編入され、消滅。

官報第一五七六号(昭和七年四月四日)
○村廃止町区域変更
町村制第三条第一項に依り本月一日より北足立郡谷田村、木崎村を廃し谷田村の区域全部及木崎村の区域中大字上木崎、大字下木崎、大字領家、大字瀬ヶ崎、大字駒場、大字本太、大字針ヶ谷を同郡浦和町に、同村大字北袋を同郡大宮町に編入せり
昭和七年四月 埼玉県

1934年(昭和9年)2月11日
浦和町が市制を施行し、浦和市となる。

となっており、消滅が1932年(昭和7年)ということは、90年以上前から存在している可能性がある。
今のところ、旧浦和市内で確認したもの中で廃止日の古さでは最古のものである。

その表札がこれである。

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材質は、金属と思われ、周辺は少し錆びているが、文字ははっきり読み取れる。

今後も貴重な歴史遺産としてぜひ残し続けて欲しい。