今回は荒川区の旧町名「尾久町」を紹介しよう。
駅名は「おく」なので、この記事を書くまでまで「おくまち」だと思っていたが「おぐまち」だった。
恥をさらすようだが、知らなかった~。
①荒川区尾久町一丁目六九一番地
発見日 2020年6月29日
発見場所 東京都荒川区東尾久二丁目
②荒川区尾久町二丁目五六一番地
発見日 2022年8月1日
発見場所 東京都荒川区東尾久二丁目
③オグ9-35
発見日 2021年9月7日
発見場所 東京都荒川区東尾久八丁目
④東京都荒川区尾久町八ノ一三四〇番地
発見日 2020年6月29日
発見場所 東京都荒川区東尾久二丁目
歴史
1889年(明治22年)5月1日
市制町村制により、上尾久村、下尾久村と船方村の一部が合併され尾久村となる。
1923年(大正12年)4月1日
尾久村が町制施行し尾久町となる。
1932年(昭和7年)10月1日
東京市編入により、尾久町は南千住町、日暮里町、三河島町と合併され、荒川区となる。
地名の由来
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」に「武蔵国豊嶋庄犬名」という地名があり、「犬名」は「大名」の間違いと考えられ、「おおぐい」が「おぐ」となったとする説がある。他にも、鎌倉時代、この地は鶴岡八幡宮の社領となっていて、文書に「武蔵国豊島郡小具郷」との記載があり、「小具」に由来する説や、江戸時代、この地が江戸城から見ると北の奥(おく)に位置することに由来する説もある。
『尾久駅』は「おくえき」なのか?
これには主に二つの説があると言われている。
一つは、尾久の地名の由来には、
江戸の奥にあったから、豊島郡の奥、北東端にあったから「おく」になったという説もあり、鉄道省は「おく」が訛って「おぐ」になっているだけなので「おく」にしてしまったという説。
秋葉原が「あきばはら」「あきばのはら」「あきばっぱら」なんて呼ばれてたのに、鉄道省が勝手に「あきはばら」と命名してしまったのに似ている。
もう一つは、尾久という駅名に反対したためだという説。
駅の設置以前に、貝塚操車場(のちの尾久操車場)があり、当初は、駅名も「貝塚駅」になるはずだったそうだ。
しかし、隣接する尾久に温泉があったことから温泉への客を誘致しようと「尾久駅」と命名したが、それに地元の人々は納得せず、その妥協案として駅名を「おく」にしたという説。
あきさみよー。