約3年前、多摩地区にある琺瑯町名看板を集中的に探索していたことがあった。
地番が現存していないものがいくつかあったので、それぞれの自治体にメールで問い合わせたことがある。福生市役所にも問い合わせたのだが、その時の回答は分からないということであった。
その当時はそういう回答だったので、特に自分で調べることもせず、福生市のこの琺瑯町名看板のことはしばらく忘れていた。
しかし・・・。
最近、どこを探索しようかと悩んでいたところ、福生市がターゲットとなった。立川市は再探索したばかり、隣の昭島市も探索したことがあるので、その隣の福生市になったという単純な理由である。
そこで、この琺瑯町名看板が再びフォーカスされることになったのである。
そのため、福生市は2023年8月28、29日連続して訪問することになった。
1日目は事前調査を少ししていたが、あまり当てもなく探索をしていた。いくつかの成果はあったのだが、この琺瑯町名看板を探すことは予定に入れていなかった。
この通りを歩いたにもかかわらず。
この標識を撮ったのは、"Nakabusa"となっていて、"Nakafussa"ではないのかと思ったからである。なぜ「なかふっさ」と読まず「なかぶさ」と読むのかは調べた限りではわからなかったが、小字名としてあった(ある?)ことがわかった。
まさかこの通りにあるとは、この時はまだ知らなかった。
1日目の探索が終わり、家に帰ってから調べていたところ、この琺瑯町名看板がまだ未発見であることを思い出した。
現存していない地番なので、「福生市志茂」の全域をストリートビューで調べるしかない。
見つからない。
あー、現地で地道に探すしかないのかなと思っていて、地図を見ていたところ、「福生市福生」に同じ地番があった。
もしかしたらということで、ストリートビューで調べてみたところ、あった!
すごくわかりにくいところだけれど。
現地で「福生市志茂」を探索しても絶対見つからない、事前調査で確認することができてよかった。
ストリートビューの最新が2022年11月なので、まだ現存している可能性がある。ということで翌日のメインターゲットとなった。
2023年8月29日、再び中福生通りへ。
前日も歩いた通り。その時はこの琺瑯町名看板のことは頭の中に1ミリもなかった。
実はこの日はこちらからではなく、反対方向から来た。まだ残っているだろうからと、余裕をこいて他のものを見ながら来たので、ようやくここにたどり着くことになった。
この写真ではどこにあるかわからないかもしれない。
ここにあるのだ。
納屋?物置?倉庫?の屋根の下。
最初に見つけた人はすごいね。こんなところに設置されているなんて中々気が付かない。
約3年越し、ようやく出会うことができた。
屋根の下に設置されているからか、状態がいい。
広告主の太陽堂薬局は現存していないと思われる。
まだ電話番号が3桁だ。
以前、福生市には「西多摩郡福生町志茂205」があったらしいが、消滅してしまったそうだ。残念。
歴史
1940年(昭和15年)11月10日
福生村、熊川村が合併し、町制を施行。「東京府西多摩郡福生町」となる。
1970年(昭和45年)7月1日
3万人市制特例法により、人口38,749人、世帯11,631戸をもって市制を施行し、「東京都福生市」となる。