以前国立市には「北2丁目13」の琺瑯町名看板があったが、消滅してしまったので、国立市の琺瑯町名看板は絶滅してしまったかと思ったら、まだ、あった!
以前より暑さは落ち着いたが、それでも暑い。
見つかるのか?
この不安な気持ちはすぐ解消されたのだった。
ラッキーなことに探索早々すぐに発見することができた。
意外なところにあった。
発見日 2022年7月11日
発見場所 東京都国立市中一丁目
それは店舗の中に置かれていた。
玉屋は現存しており、その店舗の中にこの琺瑯町名看板がある。
広告主の店舗に現存しているなんて、初めて見た。
「専門」が「専問」になっているのは、ご愛嬌。
中一丁目にあるこの場所が旧「中区223番地」なのかはわからないが、違うとしても問題ない。
残っていることが重要だ。
玉屋の歴史
1930年(昭和5年)
東京神田の猿楽町で創業。
1938年(昭和13年)
文京区動坂に移転。
1950年(昭和25年)
国立市に移転。
歴史
昭和26(1951)年に町制をひいてから、昭和42(1967)年に市制後現在の町名になるまで、行政上、江戸街道を境に南側の旧谷保村からなる谷保地区(大字谷保・青柳・石田)と、北側の国立地区(大字国立)は東区、中区、西区、中央線北側の北区と4区分した。
東区 ← 大字国立 1~151(一部は、旧地番から小字をとって継承)
中区 ← 大字国立 152~237
西区 ← 大字国立 238~337
昭和44(1969)年10月1日
中区地域の字名が全部廃止され新しい町名番地になった。
中一丁目 ← 国立 201-1~237-19
中二丁目 ← 国立 170-1~200-11
中三丁目 ← 国立 152-1~169-1
町名看板に書かれている町名「国立中区」だが「大字国立字中区」という時代はなかったと思われるので、ただの「中区」が正しいはずだ。
「国立市中区」で検索すると、RCサクセションの「国立市中区3-1~返事をおくれよ~」がヒットする。
歌詞を見る限り国立市に関するものは見当たらない。
曲名の「国立市中区3-1」は現存していないが、「国立市中3-1」で検索すると、桐朋中学校・桐朋高等学校がヒットする。ここは仲井戸麗市(CHABO)の母校である。この時期、すでに清志郎と仲井戸は交流があったので、仲井戸にあてた歌なのかも知れない。
これで東区、西区、中区の痕跡を発見した。
残りは北区のみだが、以前探索したことがあるが、そのときは発見できなかった。