歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

『傳染病研究所発祥の地』と『樋口一葉生誕地』

このふたつは何のつながりもない。

探索していて近くを通っていたはずなのに、今まで気が付かなかったものということで共通点がある。

他にもにあった!

お札の肖像画だ。

現五千円札が「樋口一葉」、新千円札が「北里柴三郎」だった。

意外な共通点。

意外のようで意外じゃない。

傳染病研究所発祥の地

発見日  2023年12月2日

発見場所 東京都港区芝公園1-1

北里柴三郎は、福沢諭吉はじめ民間の援助を受け明治25年11月30日この地に開設された大日本私立衛生会附属伝染病研究所において、細菌学の研究を開始し伝染病の撲滅に多大の貢献をした。爾来傳染病研究所は幾度かの変遷を経て現在に至っている。創立百年にあたりゆかりの地に碑を建て、先人の偉業を顕彰するものである。

平成4年11月吉日

東京大学医科学研究所
社団法人 北里研究所



樋口一葉生誕地

発見日  2023年12月2日

発見場所 東京都千代田区内幸町1-5-1

樋口一葉、名は奈津、なつ、夏子とも自署した。
明治5年3月25日、内幸町にて、東京府庁に勤める樋口則義と母たきの次女に生まれる。14歳で中島歌子の歌塾萩の舎に学ぶ。本が好きで親孝行だった。身長五尺足らず、髪はうすく、美人ではないが目に輝きがあった。
士族の誇りを胸に、つつましく見えてときに大胆。心根はやさしくときに辛辣。女であることを嘆きつつ、ときに國を憂えた。
文学を志し、明治27年より「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「われから」と次々に発表、奇跡の14か月と評される。
明治29年11月23日、本郷丸山福山町四番地で死去。享年満24歳。
森まゆみ「一葉の四季」より)

生誕地は、東京府第二大区小区内幸町一番屋敷(現千代田区内幸町一-五-二)にあった東京府庁の構内長屋とされており、その地域内の一部であるこの地へ平成十七年三月二十五日に建立した生誕記念碑を修繕し再度建立した。

令和二年十一月
麹町出張所地区連合町会
地域コミュニティ活性化事業実行委員会

旧町名である「本郷丸山福山町」と「東京府第二大区一小区内幸町一番屋敷」が書かれているのが良い。

「本郷丸山福山町四番地」は現在の文京区西片1-17-8。

東京府第二大区一小区内幸町一番屋敷」は「東京府第二大区一小区内幸町一丁目一番屋敷」や「東京府第二大区一小区内幸町御門内一番屋敷」と書かれているものもある。

どれが正しいのか、よくわからない。

明治時代に大区小区制といわれるものがあったらしいので、少し調べてみた。

明治4年1871年)4月4日5月22日
全国一律の戸籍を作るための準備として、政府は戸籍法を制定し編製の単位として区を置いた。

明治5年(1872年)10月10日11月10日
この区を大区と改称し、その下に旧来の町村を幾つかまとめて小区を置いた。
これが、大区小区制である。
区の名前には数字を用いた。
東京府においては6つの大区を置き、97の小区を置いた。

明治11年1878年)7月22日
地方三新法の一つである郡区町村編制法の制定により廃止された。

大区小区制は約7年と短命で終わったようだ。