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旧町名&琺瑯町名看板&電力プレート 葛飾区小菅町

今回は葛飾区の旧町名「小菅町」を紹介しよう。

 

葛飾区小菅町八四八

発見日  2021年8月14日

発見場所 東京都葛飾区小菅一丁目

 

葛飾区小菅町一一八三

発見日  2021年8月14日

発見場所 東京都葛飾区小菅一丁目

 

③と④は同じ建物に設置されている。
東京都内にある琺瑯町名看板探索に没頭しているときは、電力プレート自体の存在すら知らなかった。
これが旧町名の痕跡の一つであることを知ったのは、しばらくたってからだった。

 

③コスゲ-14

発見日  2021年8月14日

発見場所 東京都葛飾区小菅一丁目

 

④小菅1丁目24

発見日  2020年9月8日

発見場所 東京都葛飾区小菅一丁目

ホームローラン?

何かの造語かもしれないが、ネットでは出てこない。

つるやは廃業してしまっているようだし、ということは、ホームローランは永遠の謎?

協和銀行は、現在の「りそな銀行」だ。

 

歴史

明治2年(1869)
小菅県が設置される。

明治4年(1871)11月
廃藩置県により小菅県が廃止されたのちは東京府に属す。

明治5年(1872)
大区小区制では、東京府第十一大区一小区に割り当てられまた。

明治11年(1878)
東京府南葛飾郡に属し、柳原・小谷野と連合町村を結成した。

明治22年(1889)
町村制施行により、 「小菅、上千葉、下千葉、柳原、小谷野、堀切」が合併して南綾瀬村となると、旧小菅村域は南綾瀬村大字となる。

昭和3年(1928)
綾瀬村は町制施行。

昭和7年(1932)
東京府葛飾区の誕生で、旧小菅村域は「小菅町」になる。

昭和38年(1963)
住居表示実施により、小菅町の範囲は、「小菅一~三丁目、堀切四~五丁目」(小菅四丁目は、全域が旧上千葉町の一部)に編成された。

地名の由来
元は千葉袋(ちばぶくろ)と呼ばれる地域の一部。千葉氏の大須賀一族が移り住み、小菅氏が治めた事がいわれとされる。