次の目的地に行く途中に足を止めさせられてしまうものが道端に潜んでいた。
よく気が付いたね。
褒めて遣わそう。
発見日 2023年12月21日
発見場所 神奈川県川崎市川崎区桜本二丁目
真上
右下に右斜め下に向いている矢印が刻まれていた。
サイズ 約15cm×約15cm×約30cm
ストリートビューで調べてみたところ、同じ通りにもうひとつあることが分かったので、訪問して、存在を確認しに行った。
発見日 2023年12月26日
正面
真上
線は中央上下に刻まれている。
なぜこんなところにあるのだろう?
歴史を見てみよう。
1913年(大正2年)
日本鋼管の製鉄所が完成すると、職工は湿地帯の中を歩いて、技師や経営者は人力車で通勤した。
1914年
鋼管新道が開通して通勤の問題が解決するとともに、周辺に鋼管住宅や商店が建つようになる。
1938年(昭和13年)
鋼管通の町名がつく。当初は1~3丁目が設けられた。
1972年(昭和47年)4月1日
川崎市が政令指定都市に移行したことにより、川崎市川崎区鋼管通となる。
調べてみたけれど詳しいことは分からなかったが、桜本にも鋼管住宅などの旧日本鋼管の敷地があったのかもしれない。
鋼管通一丁目には、日本鋼管病院があり、周辺を歩いて境界石を探してみたが、見つからなかった。
2023年の今年、鉄鋼大手JFEスチール東日本製鉄所京浜地区(川崎市川崎区扇島)の高炉が年9月16日未明に操業を終えた。前身の日本鋼管(NKK)時代から100年以上にわたって受け継いできた火が、ついに消えた。
今後は、水素の供給拠点などとする構想が描かれている。
JFEスチール東日本製鉄所京浜地区の高炉は操業を終えてしまったが、これらの境界石はごく一部のマニアの間にだけだろうが、歴史を伝えていくことだろう。
街区表示板