歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

「永坂更科発祥之地」と「永坂町〃會のレトロ電柱」

今回紹介するものは以前撮ったこともあるものだが、ブログ開設前だったので、その存在をすっかり忘れていて、たまたま近くを探索していたので、再取材した次第である。

訪問日  2023年12月25日

訪問場所 東京都港区麻布永坂

永坂更科発祥之地



下の方に碑文が自然石の上に彫られていた。

昭和五十四年十一月吉日
永坂更科布屋太兵衛 建之

布屋太兵衛を商号とする祖先布商清助は、元禄年間江戸に郷里保科御大名の御好意で麻布十番近くの保科兵部少輔邸内の御長屋を借用晒布を行商、寛政元年八代目清右衛門は主君の薦めで麺舗に転業、代々布屋太兵衛を襲名す。郷里の地名の「更」と、保科家の「科」の一字を賜り「信州更科蕎麦処」永坂更科布屋太兵衛と名付け大方様の評判を頂く。
保科家、増上寺に報恩奉仕しその推挙で将軍の御用を承る。増上寺修行僧の諸国遍歴は江戸噺として全国中に声価伝達。当地麻布永坂の三田稲荷の御加護を頂きここを根拠とし家歴百九十年を印す

小林勇

麻布十番 小林石材 刻



江戸前御三家には藪そば、更科そば、砂場そばがあるが、更科そばは更に「更科堀井」、「麻布永坂更科本店」、「永坂更科 布屋太兵衛」と分かれている。この経緯を調べると面白そう。

銘板

麻布永坂町は旧町名だと思ってしまったが、現町名である。

住居表示に関する法律が成立した1962年(昭和37年)以降、港区においても新たな街画が設定されてそれまでの歴史ある町名が次々と消滅、1978年(昭和53年)には町名変更の実施率が97.4%に達していた。この際に最後まで残ったのが麻布永坂町麻布狸穴町であり、これら二町の名称は現在まで存続することとなった。

麻布永坂町に居を構えるブリヂストン創業者・石橋正二郎をはじめ、蕎麦屋・永坂更級の主人らも住居表示の実施に対して強固に異を唱えた結果らしい。

そんな麻布永坂に役目を終えたレトロ電柱が1本だけ現存している。

レトロ電柱



レトロ電柱の特徴的なフォルムをしている。



この銘板が残っているのが素晴らしい。

「永坂町〃會」



東京仲六郷
三共電柱製作所
昭和十五年

仲六郷は、東京都大田区の町名。

三共電柱製作所を調べてみると住所は"東京都大田区仲六郷4丁目26番10号"となっているが、現存していない模様。

現存しているかわからないが、他所にある三共電柱製作所製のものは、「三共電柱KK」、「東京 蒲田」となっていたり、「昭和十一年」、「昭和十二年」のものもあるようだ。