歩・探・見・感

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琺瑯住所プレート 京都市伏見區

今回、京都市伏見区を探索する大きな目的は伏見区に現存する仁丹とメンソレータムの町名表示板を発見することだった。

しかし、探索中に同じ京都市内の上京区下京区などでは見たことがない琺瑯住所プレートを発見してしまった。

上るぅ!

東京23区内で琺瑯住所プレートといえば、戦前に製作されたと思われる旧町名のものがほとんどだと思う。

ネットで調べてみたが、今回発見した琺瑯住所プレートの情報は見つからず。

もしかしたらこれらは戦前製のものかもしれない。

発見日 2024年1月5日

両替町通りは近鉄奈良線に併走して伏見の町を南北に縦貫するなのだが、探索していると、琺瑯住所プレートを発見。

京都市伏見區両替町九丁目



他にもあるのかなと思い付近を探すと2枚あった。

京都市伏見區両替町九丁目



京都市伏見區両替町九丁目



両替町通りを南下するが、他には見つからない。

そして、両替町九丁目の次は両替町八丁目だと思ったのに、急に銀座町四丁目になった。

なぜ?

調べてみたたところ、沿道の町名は南北にすべて両替町で一丁目から十五丁目まであるらしいのだが、その後徳川家康によって銀座が置かれた事から(後に洛中へ移転)、両替町五丁目から八丁目が銀座町一丁目から四丁目に変えられたとのこと。そのため、両替町には欠番があるらしい。

南下した先で銀座町のものを発見!

京都市伏見區銀座町四丁目



これを発見した後、両替町通りを北上し、十五丁目まで行ってみるが、他には見つからなかった。

銀座町四丁目から南下すれば、まだあったのかもしれないが、探索時は、南下した先にまだ両替町があることを知らなかっため、別なところを探索してしまった。

先には両替商旧蹟の標柱もあったようだ。

もったいないことをしてしまった。

帰りは近鉄丹波橋駅から乗る予定にしていた。

まだ、時間があったので、京阪電車丹波駅と近鉄丹波橋駅の間辺りを探索していたところ、ここにも琺瑯住所プレートがあった。

しかし、これが設置されているお宅の近くでは、婆さん二人が道の真ん中で大声で会話中。車が来てもよけようともしない。

仕方ないので、北上し付近を探索するが何も見つからない。

戻るとまだうるさい婆さんたちがいる。

今度は南下して探索を始めようとしたら、ようやく会話が終わったようだ。

戻ると、今度は自転車に乗りながらゲームをしている"ガキんちょ"が近づいてきた。そいつが止まったままゲームに熱中し始めた。

早くどけ!と心の中で思いながら、近くで様子をうかがう。

しばらく待っていると、ちょうど対面のお宅に車が戻ってきた。

試練が続く。

都内だったらまた来ようと思ってあきらめるが、ここは京都市

そう簡単にはあきらめられない。

粘る。

"ガキんちょ"の自転車が住所プレートの少し先に移動した。

敵はゲームに夢中だ。

このチャンスを狙い、背後から狙う。

あ~、ようやく撮れた。

京都市伏見區桃山町筒井伊賀



京都市伏見區桃山町筒井伊賀

⑤の隣のお宅にあったのだが、道路から離れた所にあったので、小さくなってしまった。

桃山町筒井伊賀は現存している町名ではなかった。

調べてみたところ、

昭和6年(1931年)成立の町は「桃山町○○」と称する。

昭和18年(1943年)
町名町界変更:桃山土地区画整理事業の換地処分に伴い、桃山町筒井伊賀の町名を桃山筒井伊賀東町・桃山筒井伊賀西町に分割・改称。

とあった。

ということは、桃山町筒井伊賀の住所プレートは昭和6年から昭和18年までに製作されたものと考えられ、町名も現存していないので立派な旧町名である。

そうなると、今回、伏見市で発見した琺瑯住所プレートはやはり戦前に製作されたものといえそうだ。

仁丹とメンソレータムの町名表示板の発見だけではなく、存在を知らなかったこれらも発見できたことは思わぬ収穫となった。

いくつかの妨害に合いながら、よく我慢した。

粘り勝ちだ。

あっぱれ!