歩・探・見・感

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旧町名「伏見町字土橋」の木製町名表示板

伏見区には、別バージョンのナンバーくん住所プレートがあった。


郵便番号が7桁なので、1998年頃設置されたのだろうか?

この土橋町にある町屋で「字土橋」と書かれている木製の町名表示板を発見した。



発見日  2024年1月5日

発見場所 京都府京都市伏見区土橋町

これはいつ頃作られたものだろうか?

歴史を調べてみよう。

明治22年(1889年)4月1日
町村制施行に伴い、紀伊郡伏見町が成立した。
この時「直違橋三丁目外三十四ヶ町聯合」のうち28町を深草村、「両替町一丁目外二十七ヶ町聯合」のうち3町を向島村へ編入し、残余の188町は伏見町の大字となり、「○○町」から「字○○」に改称した。

昭和4年(1929年)5月1日
伏見町は市制を施行して伏見市となり、同年10月1日に「字○○」から「○○町」に改称する。

ということは、この町名表示板は昭和4年以前に作られたのかもしれない。

伏見町時代のものなので、伏見市時代の仁丹の町名表示板より古いものだ。

一番下の文字は全部は読めないが、右側は伏見町、左側は靑年團と書かれているようだ。

そうなると一番上の六芒星の中に靑の文字が書かれているマークは、靑年團のマークなのかもしれない。

京都市には土橋町が下京区土橋町(つちはしちょう)、中京区土橋町(つちばしちょう)、伏見区土橋町(どばしちょう)と3つあり、全部読み方が違う。

どうしてこんなことになっているのだろう?

由来が異なるということなのか?

調べてみると面白そう。

この近くに土橋という名称の橋があった。

もしかしたら、これが町名の由来?

上板橋町の更地

ここにあった建物に「上板橋町」の町名表示板があったのだ。

もしかしたら伏見町時代のものだったかもしれない。

事前調査のストリートビューで確認できていたので、当然あると思っていたのだが、こんなことになっているなんて。

よくあることはいえ、折角ここまで来て、無くなっているのは、かなりショックであった。

上板橋


上板橋から見た疏水