歩・探・見・感

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仁丹町名表示板「上京區鷹野十二坊」と謎の町名「上京區紫野下十二坊町」

今回の京都市探索もハードスケジュールの予定だ。

ここは上品蓮台寺、どうやってくれば最短だったのかよく調べていなかったため、京都駅から鞍馬口駅までは地下鉄で来た。

京都駅から徒歩でもこれたのだが、途中寄り道をしてしまうだろうし、そのため、いつたどり着けるかわからなかったので、電車を利用。

本当は自転車を借りていこうかと思っていたのだが、無印良品のレンタサイクルは空だった。

おまけに小雨も降っていた。

ホテルでチェックインする時に、受付の人に雨はどうかと聞いたら、降水確率は20%なので傘を持って行った方がいいと言われたが、傘は持って行かなかった。

雨は探索途中で止んだのでよかった。

結果よかったのかどうかわからないが、自分には自転車より徒歩が合っている。

でも、結局、途中寄り道をしながら来たので、随分到着するのに時間がかかってしまった。


紅葉と仁丹の町名表示板のコラボを期待していたのだが、御覧の通り。

もう1月だし、当たり前の光景か。

華金山九品三昧院と号する真言宗智山派の寺院である。
 古くは聖徳太子の創建と伝えられ、当初は香隆寺と称したが、天徳四年(960)に宇多法皇の勅願により、寛空僧正が再建し、寺号を上品蓮台寺と改めたといわれている。当時は、広大な寺域に伽藍が建ち並ぶ壮大なものであったが、応仁の兵火により焼失した。
 文禄年間(1592~96)に性盛上人が復興し、この付近の蓮台野一帯に十二の子院を建立したことから、「十二坊」の名で知られるようになった。
 本堂には、村上天皇より賜った上品蓮台寺の勅額を掲げ、その内部に、本尊の延命地蔵菩薩を祀っている。
 寺宝として、下段に経文を、上段に経文の内容を説明した絵画を描いた貴重な経典として名高い絵因果経(国宝)をはじめ、文殊菩薩画像、六地蔵画像(ともに重要文化財)など、多くの文化財を所蔵している。
 境内には、平安時代を代表する仏師・定朝の墓があり、春には枝垂桜が見事に咲き誇る。

発見日  2024年1月4日

発見場所 京都府京都市北区紫野十二坊

この仁丹町名表示板は以下の点で非常に貴重なもののようだ。

・行政区名が縦書き
 行政区名の縦書きはかつて12枚あったそうだが、現役で残っているのはこの1枚だけとのこと。

・町名の変更
昭和16年に冠称を「鷹野」から「紫野」に変更した。

・区名の変更
昭和30年には上京区から分区して北区になった。

その結果、現在の町名は、「北区紫野十二坊町」となっている。



寄り道タイム開始。

消火器ボックスに「下十二坊町」の文字を発見した。

えっ?

ここは「紫野十二坊町」ではないのか?

でも、町会の名称はこのように付けられることもあるのでそれほど驚かなかった。

民家に木製の古そうな表札があったので、見てみた。

ここに、

なんと!

なんと!

「紫野十二坊町」と書かれているではないか!

「上京區」と書かれているので、それだけで旧町名認定なのだが、調べてみた限りでは、「紫野十二坊町」という町名が存在したことはないようだ。

「下十二坊町」で検索すると、「歯形地蔵」の説明板が出てくる。

そこに書かれているのは、
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その昔、鞍馬口通りには小川が流れていた。金閣寺北の鏡石あたりから折られた紙屋川の支流で、上にのぼって流れる、いわゆる『逆さ川』だった。そして、川にはちょうど千本通をまたいで小さな橋がかかり、たもとに一本のお地蔵さんがあった。『逆さ川』の下におられるので、人々は『逆さ川地蔵』と呼んで親しんだ。

そんなころのこと、近くに夫婦が住んでいた。夫は大工で、仕事一筋のマジメ人間。近所に井戸端会議でも評判で、奥さん連中も口々にほめそやした。妻も自分には出来すぎた夫と思っていたけれど、あまり評判が良すぎるので気が気でない。

「ひょっとして浮わ気でもしたら」

「いやいや、他の女性にとられるかも・・・・・」

心配がこうじて、夫の帰宅が少しでもおそいと、出先まで迎えにでるほどの気の使いよう。ある日、夕方から、あいにく空は一天かき曇って、しのつく雨。

「さぞ、夫が困っているのでは・・・・・」妻が迎えにでると、いましも向こうから夫が、美しい娘と相合いガサで歩いてくるではないか。

「人の気も知らないで、いまいましい!」逆上した妻はつかみかかった。驚いたのは亭主。そのまま、かけ出し、逆さ川の橋の下に逃げ込むと、お地蔵さんの陰に隠れた。

追いついた妻は、言葉より先にやにわに肩へガブリとかみついた。

「アッ!」

よほど気が転倒していたのか、妻が夫と思っていたのは実はお地蔵さん。そのうえ、かみついた歯はお地蔵さんの肩にくい込み、そのまま離れない。

たまたま通りかかった老僧がいて、「これはこれは、お気の毒じゃ」と経文を読んで助けた。が、妻はそのまま息がたえてしまった。

以来だれいうとなく、逆さ川地蔵を“歯形地蔵”と呼んで、女のしっとをいましめたとか。また夫の身代わりになったというので、歯痛治療の信仰もいつしか生まれた。
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だった。

この説明板にも出会ってみたいが、どこにあるのだろう?

調べてみたら、上十二坊町会もあるので、よく探せば、「紫野上十二坊町」もあるのかもしれない。

もしかしたら、これらは通称町名のようなものかもしれないが、調べてみたけれど、それについてもよくわからない謎の町名であった。

これで、住居表示が実施されていない京都市にも旧町名の表札が現存していることを確信した。

探索中、気になる表札を見かけることがあるのだが、今まであまり確認することはなかった。

京都市には古い民家がたくさんあるので、探せばいろいろ見つかりそうだが、まだまだ仁丹町名表示板の探索をメインとしているので、次回探索時は、合間にチェックしてみたい。