2024年6月15日、浅草四丁目の路地を歩いていたところ、役目を終えたレトロ電柱を発見した。
下から見ていこう。
特に装飾もなく、シンプル.。
裏側に製造メーカーが書かれているのだが、塀と電柱の隙間がほとんどなく、確認できなかった。
正面のプレートには「浅草三業地(象潟二)」と書かれていた。
「象潟二」は「象潟二丁目」のことだと思う。
「浅草象潟二」となっていないということは、もしかしたらこのレトロ電柱は戦前から存在していたもの?
この辺りは戦災を受けているので、戦前の建物は残っていないが、コンクリート製なので残ったのかもしれない。
上部には球形の装飾が残っていた。
周辺を探してみたが、これ1本しか見つからなかった。
浅草見番
浅草三業会館
待合茶屋・料理屋・置屋(芸者屋)からなる三業組合が組織されている地区もしくはその三つをそろえて経営する三業会社の営業地を三業地という。
待合茶屋が貸座敷として遊びの場を提供し、そこに置屋から芸者を呼び、料理屋が料理を供した。その調整をする事務所が「見番(けんばん)」だ。
浅草は大正末期には、料理屋49軒・待合茶屋250軒・芸者衆1,060名を誇った。
飾られていた紫陽花
済のシールが貼られているので、いきいきあじさい祭で購入したものかもしれない。
浅草神社の玉垣
浅草三業㑹
日本舞踊の藤間名取一同と花柳名取一同
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