歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 鳩ヶ谷町大字浦寺字町屋

鳩ヶ谷市内は坂道だらけだった。ものすごい急坂はないが、上り下りの連続で、体力が消耗される。
調べてみると、この辺りは大宮台地の鳩ヶ谷支台(安行台地)と呼ばれているところだった。
大宮台地はいくつもの中小河川が間を流れ、いくつかの「支台」に分かれているが、この鳩ヶ谷支台は一番南端にあたる。いちばん南の下流側にありながら、台地の標高は比較的高く、高低差があるのが特徴だ。

 

発見日  2022年1月13日

発見場所 埼玉県川口市桜町5丁目

 

f:id:citywalk2020:20220114094020j:plain

文字が薄くなっているが、「鳩ヶ谷」の「鳩」の字注目してもらいたい。
何か変だ。
「九」の字がしんにょうのように伸びている。

「鳩」の字の部首は、「九」だと思ったが「鳥」だった。
部首には「きゅうへん」というのはなく、「九」は「乙部」になるそうだ。

ハトという名前(読み方)はパタパタと飛び立つときの音の様子に由来すると考えられていて、鳩の九+鳥の字にある「九」は「クルックー」「クックックック」と鳴くことから、その当て字として「九」という漢字が使われた。
同じ鳥類でいえば、「ガーガー」と鳴く「鴉(カラス)」や、「コウコウ」と鳴く「鴨(カモ)」も同様の理由でその漢字が作られた。
「猫」の漢字も鳴き声に由来したもので、「ミャオ」と鳴くので、その音に近い読み方である「苗(ミョウ)」の漢字が当てられた。また、「蚊」は「虫」に「文」と書くが、蚊が飛ぶ「ブーン」という音に由来する。 

話が脱線してしまった。
調べてみると「鳩」の異体字が見つかったが、外字のため、表示できない。

 

歴史
1889年(明治22年)4月1日
北足立郡鳩ヶ谷町に編入され、浦寺村は消滅する。旧村は鳩ヶ谷町の大字浦寺となる。

1940年(昭和15年)4月1日
川口市編入され、川口市の大字となる。

1950年(昭和25年)11月1日
川口市から分離し、再び北足立郡鳩ヶ谷町となり、鳩ヶ谷町の大字に戻る。

1967年(昭和42年)3月1日
鳩ヶ谷町が市制施行し、鳩ヶ谷市の大字となる。

1967年(昭和42年)6月1日
大字浦寺・鳩ヶ谷・里の各一部が併合して桜町一~六丁目が成立する。

地名の由来
大宮台地南端の縁に立地する筥崎山錫杖寺地蔵院が遠方から望めたことによると云われている。

 

字名の町屋だが、鳩ヶ谷のものは見つからなかったので、荒川区の町屋の地名の由来を調べてみたところ、

①「町」は集まったという意味、「屋」は家のことで、家が多く集まったという意味に由来する説がある。現代の町は町屋を省略したもの。
②「町」は真土で「まつち」が音便化(一部の音がもとの音と変わる現象のこと)して「まち」、「屋」は野であり、「真土野」が転じて「まちや」になった。
③比較的早くから開けた町場化していたことに由来する。 

とあった。
鳩ヶ谷は日光御成道の宿場町のひとつだったので、①か③だろうか?

 

旧浦寺村に関する史跡があった。

旧浦寺村の弁天池跡

f:id:citywalk2020:20220114093236j:plain

1960年代初頭まで、現在の川口市桜町の谷あいには、いくつかの水量豊富な湧水池があった。
そのひとつである弁天池から、川口市安行慈林にある慈林寺の社寺林までの間は、摘田(つみた)と呼ばれる稲もみを水田に直まきする独特な稲作が行なわれており、その水田は田舟を使わなければならないほどの深さであったと言われている。そのため、弁天池はこの地域の灌漑用水として貴重なもので、水田に水を供給するための神聖な場所として村人の崇敬を受けており、1736年(元文元年)と1797年(寛政9年)には石祠が建立され、祀られていた。
1958年(昭和33年)頃から周囲の宅地化が進み、役目を終えた弁天池は埋め立てらた。

 

弁財天

f:id:citywalk2020:20220114093228j:plain

太陽の光が強くて、もやがかかったような写真になってしまった。

これはこれで光に包まれているような感じがして、神々しい。