歩・探・見・感

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歴史民俗資料館に展示してあった煉瓦と高砂小学校の正門へ向かう煉瓦積みのアプローチ

登録有形文化財 草加市立歴史民俗資料館(撮影日2020年3月23日)

この日は臨時休館日だったようだ。

たぶん、いつものように調べもせず行ったのだろう。

でも、桜が咲いていたんだ。

来年は桜が満開の時訪問してみよう。

訪問日  2024年4月29日

訪問場所 埼玉県草加市住吉1-25-1

今回は開館日であることを確認して訪問した。

廊下に大阪窯業東京工場の資料が展示されていた。

前回訪問した時(2021年11月30日)は、写真を撮っていなかった。

その時はまだ、煉瓦に興味がなかったのだろう。

昭和28年(1953) 草加町都市計画図


大阪窯業が中央上あたりに載っている。

机の上に煉瓦の実物が15個展示されていた



大阪窯業東京工場
(通称・レンガ工場)


大正3年(1914)草加町松江町(現松江2丁目)に県下有数のレンガ工場が出現した。従業員数200名を超える大工場であったが、昭和39年(1964)ついに閉鎖された。
そこで生産された赤レンガと耐火 レンガをここに展示することによって50年間の歴史を振り返って頂きたい。かつての草加の一大産業を誇 っていたその歴史を感じ取っていただければ幸いである。
現在、工場跡地は左岸広場に、トロッコ橋はハープ橋に架け替えられ、かつての面影はどこにも残っていないが、古写真とレンガ片でその様子を想像して頂きたい。

一部欠けているが「OSAKA YOGYO」という文字と大阪窯業の煉瓦であることを示す印が刻まれている。


「ACID PROOF」という文字は、この煉瓦が耐酸用途の特殊煉瓦であることを表している。

「OYT」(大阪窯業耐火煉瓦)

重なっている下の煉瓦、ひとつひとつ見て確認したかった。

机の下にあった煉瓦

刻印があったが、どこのかわからなかった。(大阪窯業のものではないようなので、ちゃんと調べていない・・・。)



創立70周年記念集合写真(昭和27年頃)

人数を数えたくなった。

1列  22名
2列  30名(女性29)
3列  22名(女性3)
4列  25名(女性1)
5列  29名
6列  29名
合計 157名(女性33)

数え間違えがあるかもしれない。

笑っている2列目の女性が印象的。

大阪窯業 (レンガ工場) 対岸の松原から工場を望む(昭和30年頃)

跡地は、現在「まつばら綾瀬川公園」になっている。

東武伊勢崎線 草加荷扱い所


東京工場で最初に製造された赤煉瓦45万個は、当時造営中であった明治神宮に用いられ、その後も、最盛期には年間1,500万個の煉瓦が製造され、東京駅の建設等に用いられた。

昭 和6 年(1931)に現在の獨協大学前<草加松原>駅のやや南側に草加荷扱所が設置されると、工場前の綾瀬川に架けられたトロッコ橋(正式には大阪窯業橋)と引き込み線によって東武鉄道の路線まで運ばれ、鉄道による貨物運輸が行われるようになった。

工場があったなら、その痕跡があるのではと、草加市の煉瓦のことを調べていた。

そうすると小学校に煉瓦積みの構築物があることが分かった。

もしかしたら、大阪窯業のものが使われているかもしれない。

何小学校にあるのか忘れてしまい、最初は歴史民俗資料館に隣接する草加小学校にあるのだろうと思ってしまい、1周半してしまった。

見つからない。

撤去されてしまったのかな。

基本的に現地ではあまり調べ物はしないことにしているので、その日はあきらめる。

行く時は、無駄足にならぬよう事前調査を入念にしよう。

家に帰って調べたところ、草加小学校ではなく、高砂小学校のどこかに煉瓦が見えるところがあることが分かった。

再チャレンジだ。

でも、どこにあるのかは調べなかった。

ストリートビューで調べておくべきだったのではなかったのか。

撤去されてしまっているかもしれない。

事前調査を入念にしようと書きながら、こんなことで、見つかるのだろうか?

訪問日 2024年5月2、9日

訪問場所 埼玉県草加市中央1-2-5

藤棚がある通りに蔵が見える。



その先に学校の敷地内を通る遊歩道があった。

珍しい。

感心している場合ではない。

そこにあるのかと思い探すが見つからない。

撤去されてしまったのだろうか?

正門付近に行くと、正門から伸びる道があった。


その両側に低い煉瓦積みの植え込みがあった。

探していたのは、これだよ、これ。

プレートがあった。

創立十周年記念

昭和三十九年十二月

とある。

ホームページの沿革を見ると、

昭和27年 9月18日    草加町立草加小学校分校として発足(平屋8教室)
昭和29年 4月 1日    草加町立高砂小学校として独立
昭和29年 9月18日    9月18日を開校記念日とし、第1回式典挙行
昭和33年11月 1日    市制施行により草加市高砂小学校と改称

となっている。

昭和29年9月18日を開校記念日としているとあるので、10周年は昭和39年にあたるわけだ。

正面に行ってみた。

煉瓦の刻印が見れるかもしれないので、探してみることにした。

小学校の正門を背にして、左側。


こちらは上に上らないと確認できそうもない。

小学校の敷地内なので、そんな無謀なことはできない。

反対側は、どうなっている?

市役所第2庁舎の駐車場になっていた。


ツツジとサツキ、区別がつかない。

いくつかそういう花がある。

どちらかわからないが、ピンクの色を添えている。

駐車場と植え込みの間に煉瓦の上部が見えるではないか!

駐車場の端を歩いていけば、確認できそうだ。

端から奥へ向かって確認を進める。

刻印か傷かわからないが、怪しそうな煉瓦の写真を撮った。

撮った時は気が付かなかったが、家に帰って写真をよく見てみると、刻印と思われるものを確認できる煉瓦があった。


中央に「日本」と刻まれているように見える。

これはどこのものだ?

調べてみると「日本煉瓦製造工場株式会社」のものらしいことがわかった。

※日本煉瓦製造
ドイツ人技師チーゼを招いて1887年(明治20年)に操業を始めた。 日本初の機械式レンガ工場であった。 後に太平洋セメントの子会社となり、2006年、日本煉瓦製造は株主総会において自主廃業を決定、清算された。

下のものは、〇が見えるが、これは刻印なのか?

調べてみたが、しょせん素人。

刻印かどうかもわからなかった。

大阪窯業のものは使用されていないようだが、工場が閉鎖された昭和39年(1964)は、高砂小学校の開校10周年に当たる。

なんか因縁を感じてしまった。