歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

ママ下湧水&矢川おんだし&府中用水&矢川 東京都国立市

幼稚園頃から中学1年まで国立市に住んでいた。

旧町名探索のついでに昔遊んだ懐かしい場所を訪問してきた。

はっきりした場所は覚えていないが、湧水があるところで遊んだ記憶がある。

湧水にはサワガニがいたような記憶もある。

その近くの崖で、黒く光った矢じりのような石器も拾ったことがあった。
あの石器はどこに行ってしまったんだ?

川で遊んでいたら、近くのアパートでコーラをごちそうしてくれた親切なおばさん(当時はそう思ったが、20代前半くらいのお姉さんだったかもしれない)がいた。
自転車でコーラを買いに行くのだが、途中転んでしまいコーラのビンを割ってしまい、怒られるのではないかとビクビクしながら戻るが、怒ることもせず、親切にしてくれた。

などと、いろいろなことを思い出した。

 

写真の順序は訪問した順序ではなく、ランダムになっている。

 

訪問日 2022年4月25日、28日

くにたち 農の風景 そぞろ歩き

ハケ・用水のある農の風景
約2万年前に出来た立川段丘と約1万2千年前に出来た青柳段丘の段丘街崖はハケと呼ばれ、砂礫層が露出するハケ下からは1年中水が湧きだしています。南部に広がる低地では多摩川の水を利用した府中用水が引かれ、水田地帯となって、ハケの緑のベルトと一体に農の風景が特徴となっています。

歴史を継承する府中用水
府中用水は古多摩川の流路を利用して江戸時代の初期に開削されたと考えられています。府中用水は農林水産省が定めた疏水百選に選ばれており、国立市内の府中用水、本宿用水と湧水による川の延長は30kmを超えています。現在でも土のままの水路や石積み水路が多く残っており、昔からの手作りの取水口や排水口で水量調整をおこなっています。

水と緑の生き物たちの回廊

 

ママ下湧水公園

 

青柳段丘とママ下湧水

この辺り一帯には高さ8m前後の段丘が連なっており、北側には青柳段丘が、南側には古来多摩川の氾濫原であった低地が広がっています。がけのことを地方名で「まま」とも呼ぶことから、この湧き出る地下水をここでは「ママ下湧水」と呼んでいます。昔からこの一帯は豊富な湧水群で昭和初期までわさび田が見られました。

国立市教育委員会

 

ママ下通信 139号

ママ下通信 140号

 

上(かみ)のママ下

このあたりは、多摩川の流れによってつくられた階段のような形をした崖、青柳段丘よばれる中にあります。このようなところをこのあたりでは「まま」とか「はけ」とか呼び、そこから湧き出る地下水をここ四軒在家では「ママ下湧水」と言っています。昭和のはじめまでは、この豊かな清水を利用してわさびが作られていました。このママ下湧水の湧き出る場所が「上(かみ)のママ下」と呼ばれ、関係者のご協力によりこの一帯を公園・緑地として残すことが出来ました。この美しいし自然環境が、将来にわたり多くの市民の憩いの場として利用されることを願っています。
国立市四軒在家土地区画整理組合

 

ところどころ朽ちたような木の階段がある。

恐る恐る下っていく。

 

湧水場所は柵に覆われている。

 

遊歩道沿いに清らかな小川となって崖下を東へ流れてゆく。
この小川は「清水川」、あるいは「ママ下の川」と呼ばれている。

清水川は青柳崖線のママ下湧水を水源とする400mほどの短い河川だ。

 

川沿いから、矢川おんだしの対岸側に行くつもりだったのだが、直接は行けなかった。

戻ろうかと思っていたら、いくつか石が川に置かれていた。
「渡れるよ」と言っているようだった。
たいした距離ではないが、ジャンプ力がかなり落ちている。
落ちたらどうしようの気持ちが先立つ。
でも、渡れそうな気がしたので渡ってみた。

渡って少し行くと林の中に入ってしまった

更に先へ進むと橋があった。

 

滝乃川学園に入ってしまったようだ。

目の前に国立市登録文化財に指定された聖三一礼拝堂があった。

いつのまにか迷い込んでしまったようだ。

不審者と思われたくないので、写真をさっと撮らせてもらい、早々に引き返す。

聖三一礼拝堂

1928(昭和3)年に竣工された昭和初期を代表する教育建造物で、滝乃川学園が同年現在地に移転以来、知的障害児者教育・福祉の実践を支えてきました。
災害時の避難を想定した造りの廊下、各段が低く、ゴム張りの工夫がされている階段、採光に配慮した窓等、創立者夫妻による知的障害児者への配慮が具現化された建物です。
木造のモダンな近代建築で、左右対称の平面を持ち、当時1階には教室(学園利用者用、付属保母養成所用)を、2階には講堂等を備えていました。立面は、アーチ付きの玄関ポーチを中心に広がる水平線を強調したデザインで、整然と配された窓と相まって明快で軽やかな印象を与えますが、講堂上部のドーマーと赤い屋根がポイントとなって全体を引き締めています。
支援者の皆様のお力により2007(平成19)年に保存修復工事を着工、2009(平成21)年に竣工し新たに「石井亮一・筆子記念館」としてよみがえりました。
現在では、1階の教室は、学園、石井亮一・筆子夫妻を紹介する展示室として、2階の講堂は、研修、講座、コンサート等の会場として活用されています。

 

天使のピアノ

「天使のピアノ」は本館に所蔵されていた、創立者の妻筆子が愛用したピアノです。1885(明治18)年頃横浜のデーリング商会が製造販売したもので、戦前は筆子がこのピアノでクリスマス祝会等に演奏を披露したと言われています。
やがて、筆子が亡くなり戦後何十年も忘れ去られていましたが、学園史研究会のメンバーによって1995(平成7)年に発見され、1997(平成9)年に日本ピアノ調律師協会に鑑定を依頼したところ日本に現存する最古のアップライトピアノであるとされました。
その後学園と音楽を愛する市民の方々と、日本調律師協会の献身的な努力によって復元されました。現在では、園内の聖三一礼拝堂、記念館講堂でのコンサート、都内各地でのコンサート等に供され、鹿鳴館時代の音を皆様にお届けしています。2003(平成15)年には国立市登録文化財に指定されました。
「天使のピアノ」の名の由来は、鍵盤上の板に、2人の幼児を抱いた天使が描かれているガラスが嵌めこまれているところにあると言い伝えられています。

 

矢川おんだし

左側のママ下湧水から流れてくる清水川と右側の矢川がほぼ直角に谷保分水に合流している。

清水川、矢川の向こうの林になっているところは崖が横にずっと長く延びている。
青柳崖線だ。

さっきはこの林の中に迷い込んでしまったのだ。

左側の谷保分水は農繁期のみ多摩川から取水し、農閑期になると取水口が閉じられる。今回訪れたのは4月の終わり頃、「矢川おんだし」の上流部の谷保分水がほどんど流れていないように見えるのはまだ取水が始まっていないからなのだろう。しかし「矢川おんだし」の下流側では清水川と矢川からの流れを集めて清らかな水が流れてゆく。
谷保分水側では、小魚がたくさん泳いでいて、はねているのが見える。

谷保分水

府中用水本流と谷保堰で分水された流れで、谷保用水とも呼ばれている。


貝殻坂

貝殻坂  かいがらざか
この坂は、青柳段丘崖の立川市境にあり、昔から、坂の途中から貝殻が出るので、「貝殻坂」と呼ばれています。 江戸時代の文人斎藤鶴磯の著書『武蔵野誌』(1815)にも、「柴崎村と青柳村との境 多摩川に臨し所に貝殻坂という所あり。 此地の土柱に蛤貝の殻おびただしくあり。 古(いにしえ)はこの辺は入海なちろ土人(ところのもの)言伝う…」と記されています。
平成5年3月

国立市教育委員会

府中用水 取入口

府中用水は、多摩川の水を青柳南で取り入れ、谷保南部を通り、府中まで導く農業用水路です。江戸時代には、府中宿のうち本町、番場宿、新宿と、是政村、上谷保村、下谷保村、青柳村の合計七ヵ村が管理していたため、七ヶ村組合用水」と呼んでいました。
いつ、どのように造られたかについては、明かではありませんが、一説には、江戸時代(一六五二年頃)に羽村の玉川兄弟が、青柳から府中までの上水路を計画し、途中まで掘り進んだところ土地の高低差が激しく断念、後の人がその跡を利用したと伝えられています。
また一説には、昔の多摩川の河床を用水路として利用したとも伝えられています。
この下が用水の取入口です。毎年、田植えの前に水を取り入れ、田を潤し、秋の収穫前に水を止める光景が、風物詩となっています。
平成四年三月

国立市教育委員会

 

土砂吐兼排水門から多摩川本流へ向かう排水

勢いよく水が流れている。

 

取水樋門近くにあった改築記念碑

護岸吐洗○○
大正五年三月成(1916年3月)
と刻まれている。

府中用水

府中用水は、多摩川の水を青柳下で取り入れ、谷保南部から府中、是政まで導く現役の農業用水路です。江戸時代には、府中宿のうち本町・番場宿・新宿と、是政村、上谷保村、下谷保村、青柳村の合計七力村が管理していたため、「七力村組合用水」と呼ばれていました。
いつ、どのような経緯で造られたかは明らかではありませんが、氾濫を繰り返していた古多摩川の流路が府中用水と重なることから、江戸時代初期に古流路の河床を利用して開削されたと考えられています。
一説には、江戸時代初期に多摩川の水を江戸に引く上水路工事が行われた際、青柳から掘り進んだところ土地の高低差が激しく断念、後の人がその跡を利用したとも伝えられています。
毎年、田植えの前に水を取り入れ、水田を潤し、秋の収穫の前に水を止める光景が、風物詩となっています。

平成二十三年一月 国立市教育委員会

 

矢川駅付近にあった案内板

 

矢川メルカード商店街のキャラクター

メルカードとは、スペイン語で『市場』の意味らしい。

メルカード商店街マスコットキャラクターの「やがわん」は2013年頃リニューアルされたそうだ。

新やがわん!!!!!!!!!
これまで載せていたやがわんですが、色々とデザインが手抜きでした^^;
というのも、思いつきで描きはじめ、甲冑すらちゃんと見た事無いのに、なんとな~~~くで描いちゃっていました。
兜とか画像検索してよくよく見ると、まぁ恥ずかしい><
そんなわけで、クオリティーを高めたやがわん完成です。
耳も犬らしく、子供ウケしやすい(?!)愛嬌のある
大きな目、口元のラインも優しい雰囲気、その他諸々
リニューアルしました。
なんだか『アニメ度』が増した気がしますw

これからはコイツをよろしくお願いします!

Facebookに載っていた。

以前の「やがわん」はどんな姿だったのだろう。

 

右側の女の子の正体は不明。

Facebookでは2016年頃から出現。

 

矢川メルカード商店街は、2019年のTBSドラマ『凪のお暇』の主人公が八百屋さんや魚屋さんで買い物をしているシーンが撮影されたロケ地として話題になったことがあったそうだ。

乃木坂46が出演している漫画が原作の実写版映画「あさひなぐ」のロケ地としてファンの間では有名な店『英福』もあるそうだ。

その時食べられた「特製タンメン」は「ニンジンやきくらげなどを抜いて色味をなくし、チャーシューを2枚にして盛ってほしい」という撮影スタッフからの要望によって生まれたそうだ。

 

矢川に浮かんでいた桜の花筏