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鴻巣市で復活した旧町名

今回は鴻巣市で復活した旧町名を紹介することにしよう

限定的ではあるが、全国的にも旧町名が復活することは珍しいことだ。

 

訪問日 2023年4月6、10日

①「本一町」と「宮本町」

2008年(平成20年)4月1日に、鴻巣駅東口再開発事業により整備された公園「エルミパーク」の街区において、住居表示の「街区符号」として復活した。
これにより「エルミパーク」の住所は「本町一丁目本一町番」と「本町一丁目宮本町番」になった。

これは先日下記の記事で紹介した。

citywalk2020.hatenablog.com

 

②「富永町」と「石橋町

2012年(平成24年)4月1日に鴻巣市鴻巣東小学校の校庭部分において、住居表示の「街区符号」として復活した。
鴻巣東小学校の校庭部分の住所は「本町六丁目富永町番」と「本町六丁目石橋町番」になった。
鴻巣東小学校の校舎の住所は変更されず、本町六丁目4番56号である。

4月10日は入学式だった。

1873年明治6年)5月
大字鴻巣2938の1の場所に創立する。

今年で創立150周年となる。

1923年(大正12年)9月
現在地に移転する。

 

校門正門側

校庭南側 本町六丁目石橋町番 旧地名 鴻巣宿字東側

校庭北側 本町六丁目富永町番 旧地名 鴻巣宿字東側

 

北側

 

南側

 

校庭には、樹齢150年を超えるけやきの大木が2本あり、児童・保護者・地域住民から学校のシンボルとして「大けや」という愛称で親しまれている。

 

中央児童公園からだと3本並んで見える。

 

北側から

 

南側から

 

③旧「鴻巣宿(大字鴻巣)」の字「鞠子」

2015年(平成27年)8月24日、住居表示の「街区符号」として復活した。
「鞠子」は鴻巣市鴻巣南小学校の敷地の西半部が「本町八丁目鞠子番」になった。

4月10日は入学式だった。

校門

 

校門の両側に街区表示板が設置されている。

元市町町内会区域
当地の地名の変遷
江戸末期:武蔵国足立郡鴻巣宿
     大下町 勝願寺領門前
1871:埼玉県成立
1879:足立郡を分割し北足立郡成立
明治時代:慣例町名が門前・大下町から
     元市町になる
1889:北足立郡鴻巣町大字鴻巣
     字鞠子(元市町を慣例使用)
1954:鴻巣市大字鴻巣字鞠子
     (元市町を慣例使用)
1965:鴻巣市本町八丁目
     (町内会の名称は元市町)


西側のフェンスには「鴻巣市本町八丁目鞠子」のものが2枚設置されている。

 

南側のフェンス



鴻巣宿鞠子公園

元は「人形1丁目2号公園」という名称だったが、「鴻巣宿鞠子公園」に名称変更された。

④旧「上生出塚村(大字上生出塚)」の字「新屋敷」

2015年(平成27年)8月24日、住居表示の「街区符号」として復活した。
「新屋敷」は市内東四丁目地内の「けやき通り公園」の敷地内のみが「東四丁目新屋敷番」となった。

新屋敷地区
当地の地名の変遷

江戸時代:武蔵国足立郡上生塚村字新屋敷
1871:埼玉県成立
1879:足立郡を分割し北足立郡成立
1889:北足立郡鴻巣町大字上生出塚 字新屋敷
大正時代:兎山町内会が成立する
1954:鴻巣市大字上生出塚字新屋敷
1962:慣例の町名が兎山から東町となる
1965:鴻巣市東四丁目