歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

「住居表示街区符号による旧地名の保存」碑 in 埼玉県鴻巣市

以前も訪れた事があるのだが、桜が満開だったので、地図に書かれている「旧町名復活の碑」を再取材することにした。

絵では「復活の碑」は木製の棒のようになっているが、こういうものではなかった。

 

訪問日 2023年3月6日(撮り忘れたものがあったので4月6日再訪する。)

 

鴻巣駅前にある公園「エルミパーク」の遊歩道を満開のカワヅサクラの中、歩いていく。

 

桜の木の根元に「住居表示街区符号による旧地名の保存」碑が設置されていた。

以前はこの裏に「街区表示板」があったようなのだが、移動されていた。

 

住居表示街区符号による旧地名の保存地名 ~保存街区「本一町・宮本町」~

江戸時代、中山道の宿場として発達した鴻巣宿は、17世紀には上宿・中宿 下宿から構成されていました。 明治になると、法律に基づく登記上の地名は「鴻巣宿字東側・同字西側○番地」と表示することになりましたが、 同22年の町村制施行により 「鴻巣町大字鴻巣字東側・同字西側○番地」 と変更になりました。その後、昭和40年2月に、 市街地は現行の「加美・雷電・本宮町・本町・人形」などの新町名となりました。
明治元年には「大上町・雷電町・本壱町・市神町・中市場・下市場・石橋町・大下町」の名称がありました。その後、「上町・雷電町・本一町・宮本町・仲町・富永町・石橋町相生町・元市町・人形町・宮地・山谷」と増加し、大正期には「御成町・七軒町・兎山」が加わり、鴻巣の発展のようすがわかります。これらの町名は、名称や文字の変更等を経ながら今日に及んでいますが、それは当時の鴻巣宿鴻巣町が、治安・消防・衛生などの行政事務の末端に位置付けるためと、住人が日常生活を営むうえで、便宜上区分された自治的な町名だったからでした。 こうした町名は、郵便物における住所表記など、長い間それを生活圏とした住民に親しまれ、 夏・秋の祭りなど諸行事を営んできた、いわば鴻巣の歴史的町名としての意義があります。 しかし、昭和40年2月1日の住居表示の実施による町名の再編成により、「加美・雷電・宮地・人形」は旧来の町名が新町名に採用され存続しましたが、「本一町・宮本町・仲町・富永町・御成町・相生町・七軒町・石橋町・元市町」の町名は消滅し、現在では町内会名としてのみ存在しています。
現在の町名が定着している今日、これを旧町名に変更することは困難ですが、このたび「鴻巣駅東口再開発事業」により、本町一丁目3番街区内の南側(本一町・宮本町町内会区域に跨がる範囲)に当公園が整備されることとなり、当公園の敷地内に、失われた「本一町・宮本町」の名称が復活されました。 現行町名である「本町一丁目」の名称は変更せず、現「本町一丁目3番」街区を3分割し、当公園の本一町町内会区域を「本町一丁目 本一町」に、宮本町町内会区域を「本町一丁目 宮本町」と名付けることで、通常は算用数字を使用する街区符号に、直接「本一町・宮本町」という「地名保存のための街区」を特設して、旧町名を復活するものです。 これにより「本一町・宮本町」の名称は、「住居表示街区符号」として地図に表記されます。
旧町名を街区符号に採用することで歴史的地名を保存した例は、全国では「大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺」の一例(渡辺街区・・・ 渡辺綱ゆかりの地)が存在するのみでしたが、当地「本一町街区」と「宮本町街区」の設置により、東日本地域初の地名保存街区の誕生となりました。

平成20年(2008年)3月 「住居表示街区分割の変更告示」の日に 鴻巣郷土史

 

住居表示街区

 

本一町

鴻巣宿の中心地で、現在の「鴻神社」の南側一帯の地域が「本一町町内会」の区域です。「本一町」は江戸時代、鴻巣宿の上宿の一部にあたり、そこには宿民に時を告げる鐘つき堂、 さらに「五智如来」を祀った「五智堂」や「閻魔堂」があり、南側には「松山道」が分岐していました。名称は、明治元年、宿内の町内総代が 「氷川・熊野・雷電三社」の神官任命の件について作成した議定書に「本壱町総代」 とみえるので、幕末には宿内の一町内として成立していたと考えられます。明治初期には「本一町・本市町」の文字も使用されていることから「市」が開かれたこともあったと推測されます。町名の由来は宿場の最も上方に当たるところからとの説があります。
失われた旧町名「本一町」は、当公園において「本町一丁目」地内の「街区符号」に命名され、この地において永遠に残されます。

 

宮本町

鴻巣宿の中心地で、現在の「東口駅前通り」の交差点付近の地域が 「宮本町町内会」の区域です。「宮本町」は江戸時代、鴻巣宿の上宿の一部にあたり、そのころは 「市神町」と呼ばれていました。「市神町」は、鴻巣宿で月6回開かれる六斎市の「上市場」にあたります。名称は、明治元年、宿内の町内総代が「氷川・熊野・雷電三社」の神官任命 の件について作成した議定書に「市神町総代」 とみえるので、幕末には宿内の一町内として成立していたと推測されます。 町名の由来は 「市神社」が祀られていたことによりますが、 明治3年8月の台風により社が壊滅したため、 同十年代に「お宮」があったことにちなんで「宮本町」に変更されました。
失われた旧町名 「宮本町」は、当公園において「本町一丁目」地内の「街区符号」に命名され、この地において永遠に残されます。

 

本一町

本宿(ほんじゅく:幕府直轄領で中心市街地)のうち、上方(京都の方向)に位置する最初の町であることが町名の由来で、「本壹町」「本壱町」とも表記されました。また、勝願寺の末寺で、町民や旅人に鐘楼の鐘をついて時を知らせ、人々に親しまれ
た五智堂という寺院が明治時代中期まで在ったことから、「五智堂町」とも呼ばれていました。

 

 

宮本町

本宿(ほんじゅく:幕府直轄領で中心市街地)のうち、古くは上市場 と呼ばれていた地蔵で、中山道の中央に鴻巣宿の市神社が鎮座していたことから「市神町」「市神街」と呼ばれるようになりました。明治三(一八七〇)年の台風によって市神社が倒壊した後、「本宿のお宮が在った町」という意味で「宮本町」と名付けられました。

 

 

公園内にある郵便ポストの所在地は「本町1-2931」だった。

 

2023年4月6日

カワヅザクラは葉桜に、ソメイヨシノもかなり散っていた。

 

調べていたところ、復活したのは「本一町」と「宮本町」だけではないことがわかったので、それらは別な記事で紹介する予定である。