歩・探・見・感

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御茶ノ水ソラシティで明治・大正時代の歴史遺産に触れる⑤ ― 松山堂の蔵の煉瓦 岩崎邸・三菱社の煉瓦 ―

今回は、松山堂の蔵の煉瓦、岩崎邸・三菱社の煉瓦を紹介しよう。

 

松山堂の蔵の煉瓦
この蔵は神田淡路町二丁目にあった「松山堂の蔵」の小屋組みなど既存部材を再利用の上、復元したものです。明治41年(1908)「日本全国古本屋見立番附」によると「東京・松山堂」は小結に番付され、全国でも屈指の書籍商でした。既存の蔵から切り出した煉瓦壁を、その記憶を継承する目的で展示しています。目地は覆輪目地という凸型の丸面で、煉瓦面と同じ高さに仕上げています。煉瓦にはカタカナの「サ」とひらがなの「さ」の2種類の刻印が見つかりました。

 

上部

 

カタカナの「サ」の刻印は3か所にあった。

 

ひらがなの「さ」の刻印は見つからず。

 

鉄筋?

 

岩崎邸・三菱社の煉瓦

右下に見える煉瓦擁壁は、この場所にあった岩崎彌之助邸・三菱社の擁壁の煉瓦を再利用して造られたものです。岩崎邸・三菱社の煉瓦擁壁は明治時代に築造されたもので、煉瓦の裏面にサクラ印の刻印があることから、小菅集治監で製造されたものであることがわかりました。煉瓦の製法は型造りではなく、鉄線などで切り取って製作されたもので、1枚1枚微妙に大きさが異なるものです。積み方はイギリス積みと呼ばれ、長手だけの段と小口だけの段を一段おきに積む方法です。

刻印はいくつかあったが、塀の上を歩くのは危ないので、手前にあったものだけ撮った。

何気なく説明板の文章を書き起こしていたが、"小菅集治監"て何?

集治監(しゅうちかん)とは、明治時代に設置された囚人の収容施設(監獄の一種)とのこと。
1879年(明治12年)東京の小菅に東京集治監(現在の東京拘置所の敷地)が設置され、囚人に与える苦役の一つとして煉瓦の製造に従事させることにしたそうだ。