歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

隅田公園で発見した境界石とその周辺にある石碑

隅田公園を訪問したのはたぶん初めてだった。

東京23区内はかなり探索しているつもりだが、まだまだ未訪問のところがあるのだなぁ。

発見日 2023年2月27日、3月20日 

当ブログでは、できるだけ他の方が紹介されていないものを紹介したいのだが、都内にはそのようなものはほとんどないのかもしれない。

でも、隅田公園を訪問して、他に見所がいろいろある中、これをメインに紹介する変人はあまりいないかもしれない。

 

3本あるのだが、わかるだろうか?

桜が満開に近く、花見客が多かった。


この写真では2本

 

1本目

 

2本目

これが一番身長が高かった。

 

よく探していないので、まだあるのかもしれない。

 

気になったので、2023年3月20日再訪した。

3本目を発見した。

ほとんど埋まっていて一番上の文字しか見えない。

 

撮影日 2023年4月1日

3本目の周りに人がいなかったので、3本目から1本目を撮ってきた。

 

各面には、次の文字が刻まれているようだ。

指定區
域境界

史蹟

文部省
東京市

 

境界石と一緒に写っている石碑が気になる方もいるかもしれないので、紹介しておこう。

ここにも境界石が1本写っている。

 

隅田公園水戸邸跡由来記

コノ地ハ江戸時代 水戸徳川家下屋敷 小梅別邸ガ置カレタトコロデアル
徳川御三家ノ一ツデアル水戸家ガ オ浜屋敷 中央区ニ替エテコノ地ヲ賜ッタノハ 元禄六年 一六九三年 三代綱條公ノ時デアル 屋敷ハ西ハ隅田川ニ面シ南ハ北十間川ヲ巡ラシ 面積オヨソ六万六千平方メートル 約二万坪 南北二百メートル余 東西約三百メートルニワタリ南ニ広ガル梯形ノ地デ 現在ノ向島一丁目ノホボ大半ヲ占メ
墨田区南部ニ置カレタ大 小名屋敷八十余ノウチデ最大ノ規模ヲ誇ルモノデアッタ
コノ屋敷ハ 現在後楽園ノ名ガ残ル小石川本邸 駒込別邸 イズレモ文京区 ノ控トシテ 従者デアル蔵奉行 水主 鷹匠ノ住マイナドニアテラレ マタ西側ニ接シタ一角ニハオ船蔵ガ置カレ 水戸家所有ノ船 材木ナドガ保管サレテイタ
弘化元年 一八四四年 烈公トシテ知ラレル九代斉昭公ガ藩政改革ノ一端カラ幕府ノ誤解ヲ招キ駒込別邸デ謹慎ヲ命ジラレタ際 改革派ノ中心デアリ高名ナ水戸学者デアッタ藤田東湖ガ責任ノ一班ヲ負イ蟄居ノ日々ヲ送ッタノモ コノ屋敷内ノ長屋デアッタ
ヤガテ明治維新トナリ 十一代昭武公ノ代ヲ以テ藩制度ハ解消 一時政府の管理スルトコロトナッタモノノ 爾後 改メテ水戸家本邸ガ置カレ 明治八年ニハ 
明治天皇 同二十五年ニハ 昭憲皇太后ノゴ訪問ヲ受ケタ シカシ大正十二年九月 関東大震災ノ劫火ニヨリ烏有ニ帰シ 二百三十年ニ及ブ水戸屋敷ノ歴史ハココデ閉ジタノデアル
昭和六年 帝都復興計画ニ基ヅキ隅田公園ガ造営サレルト 水戸邸ノ旧跡ハ同園ニ取リ入レラレ 往時ヲシノブヨスガヲソノ一角ニトドメ 広ク市民ノ憩イノ場トナッテイタ  シカシソノ後 半世紀近イ歳月トトモニ環境ハ変化シ マタ第二次大戦ノ戦火ノ被害モアリ ソノ面影モオオカタ失ワレタ
昭和五十年 コノ公園ヲ管理スルコトトナッタ墨田区ハ 同五十二年区制施行三十周年ヲ記念シテ改修ニ着手シ コノタビ昔日ノ風趣ヲ伝エル日本風庭園ヲ再現サセタ ココニ カッテノ水戸徳川邸ノ林泉ノ美ガ復元サレタコトヲ機会トシテ一碑ヲ建テ イササカコノ地ノ由来ヲ記シ 後世ニ伝エルモノデアル
    
昭和五十四年四月

 

中央

明治天皇行幸所 水戸徳川邸舊阯

右側面

「史跡名勝天然記念物保存法ニ依リ史蹟トシテ」の後の文字が削られているが、わかる範囲で解読してみよう。
たぶん「昭和八年十一月文部大臣建立」だろう。
この公園には、このように石碑の文字が削られているものがいくつかあるが、何か理由があるのだろうか?

舊阯(きゅうし)とは元○○であった址(旧跡)だという意味。

 

裏面

昭和十三年三月建設

 

明治天皇御製歌碑

花ぐわし 桜もあれど 此やど乃

よ々のこころを 我はとひけり

 

裏面

明治八年四月四日 明治天皇先臣昭武の邸に臨ませられ畏くも 宸筆の御製を賜ふ此地は當年の邸趾にして大正十二年の大震火災後帝都の復興に際し隅田公園となれり圀順此光榮  ある遺蹟を永く世に傳へんと欲し 御製を謹書して茲に此碑を建つ
 昭和五年三月
 公爵 徳川圀順