歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

浦和駅開業140周年記念イベント ~ 浦和PARCO編 ① ~

展示されていた写真パネル①~⑦までを紹介しよう。番号はついていなかったので、紹介順に勝手につけたものである。

今回紹介する列車は以下の通り。

①特急「新特急なすの」、185系「普通」
②特急「白山」、寝台特急 「北陸」
③特急「とき」、特急「ひばり」
④特急「新特急草津」、特急 「新特急谷川」
寝台特急「鳥海」、寝台特急「出羽」
⑥臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」、臨時急行「レインボー信州」
⑦特急「あさま」、急行「能登


浦和駅に停車していた列車たち①

特急「新特急なすの」
「なすの」という列車名が登場したの1959(昭和34)年、上野~黒磯間を走る臨時準急が「なすの」として運転を開始したのが始まりです。1963(同38)年には登場したばかりの165系急行形電車が投入され、1966(同41)年には急行列車になりました。1985(同60) 年、185系特急形電車を使用した「新特急なすの」に格上げされ、浦和駅に最初に停車した特急列車になりましたが、1990(平成2)年からは運転区間が新宿~黒磯間に変更され、ホームのない浦和駅は通過するようになりました。1995(同7)年、列車名を東北新幹線に譲ることになり、在来線からは姿を消しました。

185系「普通」
新幹線リレー号や新特急で 活躍する姿になじみのある185系ですが、開発当初のコンセプトは特急形車両としつつ通勤輸送でも使用できる車両として仕様が決められました。そして早朝の高崎線籠原発上野行きでも185系電車が使用されていました。上野到着後は新特急で折り返します。2004(平成16)年まで普通列車で使用されており、編成に2両連結されていたグリーン車も運賃のみで乗車できたため、人気があったようです。

浦和駅に停車していた列車たち②

特急「白山」
「白山」の列車名は1954(昭和29)年に上野~金沢間を東北本線高崎線信越本線北陸本線経由で結ぶ急行列車で登場した歴史あるものです。1972(同47)年に特急に格上げされ、以降時期により1往復~3往復程度が特急「あさま」と一体的に運転されていました。こちらも1997(平成9)年の長野新幹線開業で廃止されました。

寝台特急 「北陸」
上野~金沢間を結ぶ夜行列車として急行「北陸」が運転されていましたが、寝台特急に格上げされたのは1975(昭和50)年のことでした。 以降2010(平成22)年に廃止されるまで、上野~金沢間を東北本線高崎線上越線信越本線北陸本線経由で1日1往復運転されました。寝台特急にしては距離が短い区間でしたが、晩年は多くの個室車両やシャワールームもある編成で運転されていました。

浦和駅に停車していた列車たち③

特急「とき」
1962(昭和37)年長岡~新潟間が電化されたことから、161系電車を使用した特急「とき」が登場しました。東北本線高崎線上越線信越本線経由で上野~新潟間を4時間40分で結ぶ電車特急で、東海道本線山陽本線以外で電車特急が運転されるのはこの特急「とき」が最初でした。当初上野~新潟間で1往復でしたが、1965(同40)年には151系、161系を改造した181系も投入され2往復になり、1967(同42)年からは1往復が東京~新潟間で運転されていた時代もありました。その後も増発を重ね最大14往複を数えるまでになり、183系電車も投入されましたが、1982(57)年の上越新幹線開業で列車名も新幹線に譲り在来線からは姿を消しました。

特急「ひばり」
上野~仙台間を結ぶ特急として運転された「ひばり」。1961(昭和36)年に不定期の気動車特急として運転を開始していますが、1963(同38)年に定期列車になったものの、1往復の運転にとどまっていました。1945(同40)年に483系電車が投入され電車特急となり、2往復が運転されるようになります。その後1968(同43)年に5往復に増発され上野~仙台間を3時間台で結ぶようになると、利用者は増え続け1978(同53)年には最大15往復もの 「ひばり」が運転されるに至り、東北本線を代表する特急列車として知られるようになりました。1982 (同57)年の東北、上越新幹線開業で新幹線にその役割を譲り、列車も含め消しました。


浦和駅に停車していた列車たち④

特急「新特急草津
草津」という列車名は1960(昭和35)年に上野~長野原(現在の長野原草津口) 間で運転された臨時準急列車で初めて登場しています。以降東北本線高崎線上越線吾妻線を走る準急、急行列車として運転されており、1970年代から運転を開始した特急は「白根」の愛称がつけられました。1985(同60)年のダイヤ改正で、特急白根と急行草津を統合し、185系電車を使用した「新特急草津」の名称で1日4往復が上野~万座・鹿沢口駅間で運転を開始。 浦和駅に停車する初の特急列車となりました。上野~新前橋間では「新特急あかぎ」や 「新特急谷川」と併結運転し、堂々の14両編成で運転する列車もありました。2002(平成14)年に新特急という呼称が廃止され、以降特急「草津」として運転され、2023(令和5)年には列車名が特急「草津・四万」に改められています。


特急 「新特急谷川」
1982(昭和57)年、上野~水上間の急行「ゆけむり」を185系電車使用の特急に格上げした際に特急「谷川」の名称が登場しました。1985(同60)年には急行「ゆけむり」が廃止され全列車が「新特急谷川」になり浦和駅にも停車するようになります。
1997(平成9)年、上越新幹線の列車名に「たにがわ」が使用されることになり、列車名を「新特急水上」に変更、特急「水上」として2010(22)年に運転を終了し、以降繁忙期の臨時特急として時折運転されました。

浦和駅に停車していた列車たち⑤

寝台特急「鳥海」
「鳥海」の列車名は1950(昭和25)年に上野・秋田間を東北本線奥羽本線経由で結ぶ夜行急行列車に命名されたのが最初で、その後行の急行や、東北本線高崎線上越線羽越線経由の急行、特急など、上野~秋田・青森間を結ぶ様々な列車で使用されました。1990(平成2)年9月、山形新幹線工事に伴い、奥羽本線経由で上野~青森間を結んでいた寝台特急「あけぼの」のうち1往復を、高崎線上越線羽越本線奥羽本線経由で運転することになり、列車名を「鳥海」としました。1997(同9)年、この列車が「あけぼの」に改称され「鳥海」は姿を消しました。

寝台特急「出羽」
以前は1960年代から気動車急行で使用されていた列車名でしたが、寝台特急の列車名で 「出羽」が使用されたのは東北・上越新幹線開業後の1982(昭和57)年から。上野~秋田間を東北本線高崎線上越線信越本線羽越本線経由で24系客車を使用し運転されました。1993(平成5)年に、同じ経由で青森まで運転する寝台特急「鳥海」に統合される形で廃止され、短い期間で消滅したため比較的影が薄い存在かもしれません。

浦和駅に停車していた列車たち⑥

臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ
特急「あさま」が運転を開始すると多くの利用者で好評を博し混雑が続き、軽井沢への輸送に特化した臨時特急「そよかぜ」が1968(昭和43)年7月から東京〜中軽井沢間で運転されることになります。多様な車両が使われ、運転区間の変遷もありましたが、長野行新幹線(北陸新幹線)開業の直前、1997年まで臨時特急として運転が続きました。中でも変わり種が臨時特急「サ ロンエクスプレスそよかぜ」。1984 (昭和(59)年から1988(同63)年にかけ逗子~軽井沢間で運転されました。展望室や個室で構成されたジョイフルトレイン「サロンエクスプレス東京」横須賀線東海道本線(品鶴線)、山手貨物線東北貨物線高崎線信越本線経由で運転されました。東北貨物船経由で運転されたためホームのない浦和駅は通過でした。

臨時急行「レインボー信州」
国鉄末期や分割民営化直後の時期に、鉄道の魅力の向上や多様化する旅のニーズに応えようと、各地で既存車両を畳敷きのお座敷列車や展望車、サロンカー、個室車両に改造した「ジョイフルトレイン」が続々登場します。これらの多くは団体専用列車で運転されることが多かったものの、繁忙期には輸送力を確保する意味もあり、観光地へ向かう臨時列車で運転されることもありました。写真は上野~長野間で1989(平成元)年~1990(同2)年の夏季を中心に運転された「レインボー信州車」。客車は当時の尾久客車区所属の「スーパーエクスプレスレインボー」で、全車グリーン車でした。

浦和駅に停車していた列車たち⑦

特急「あさま」
1966(昭和41)年に上野~長野間を東北本線高崎線信越本線経由で結ぶ電車特急として運転を開始。信越本線初の特急で、当初2往復の運転からスタートしますが、急行からの格上げや発を重ね、最も多い時期で上野~長野・直江津間で20往復が運転されるようになります。1997(平成9)年の新幹線開業まで活躍し、列車名は長野行新幹線(北陸新幹線)に引き継がれ今も親しまれています。

急行「能登
寝台特急「北陸」と同じく1975(昭和50)年に上野~金沢間を結ぶ夜行急行に「能登」という名称がつけられました。当初は寝台車両も含む客車列車で、「北陸」と同じく上越線信越本線まわりで運転されていましたが、1982(同57)年の上越新幹線開業後は高崎から信越本線、北陸本経由になり、1993(平成5)年からは寝台車の連結を廃止し485系電車での運転となりました。翌1994(同6)年からは運転区間を上野~福井に長。1997(同9) 年の長野行新幹線(北陸新幹線)開業で再び上越線経由で運転されるようになりましたが、2010(同22)年に定期運転を終了。臨時列車は2012(同24)年を最後に運転されていません。