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浦和駅開業140周年記念イベント ~ 浦和PARCO編 ② ~

今回は残りの写真パネル⑧~⑭までの7枚を紹介しよう。

今回紹介する列車は以下の通り。

寝台特急「あけぼの」、急行 「おが」

寝台特急北斗星」「エルム」、臨時特急「カートレイン北海道」

寝台特急はくつる」、急行「八甲田」

⑪特急「あいづ」、特急「つばさ」

⑫特急「やまびこ」、特急「いなほ」、特急「はつかり

⑬急行「みやぎの」、「新幹線リレー号」

⑭急行「津軽」、

 

浦和駅に停車していた列車たち⑧

寝台特急「あけぼの」
「あけぼの」は1970(昭和45)年に上野~青森間を東北本線奥羽本線経由で結ぶ寝台特急として運転を開始。その後増発され上野~青森間2往復、上野~秋田間1往復で運転され、「つばさ」とならび東京と秋田を結ぶ列車の代名詞的存在でした。1990(平成2) 年、福島~山形間で山形新幹線の工事が始まり、1往復が東北本線陸羽東線奥羽本線経由で運転されるようになり、さらに1997(同9)年の秋田新幹線開業後は東北本線高崎線上越線羽越線奥羽本線経由に改められましたが、2015(同27)年1月の臨時運転を最後に姿を消しました。

急行 「おが」
1961(昭和36)年に上野~秋田間を東北本線奥羽本線経由で結ぶ夜行急行「男鹿」として運転を開始。2年後の1963(38)年にはひらがな表記の「おが」となり、1985(同60)年まで定期列車として運転されました。しかしその後も、繁忙期の臨時夜行急行として1994(平成6)年まで時折運転されていました。1991(平成3)年以降は、山形新幹線の工事に伴い、東北本線北上線奥羽本線経由に変更され、1992(同4)年までは、3段寝台の20系客車を使用して運転されていました。

浦和駅に停車していた列車たち➈

寝台特急北斗星」「エルム」
1988(昭和63)年3月の青函トンネル開業と同時に、上野~札幌間で運転を開始した寝台特急北斗星」。フランス料理のフルコースを楽しめる食堂車やロビーカーの連結、シャワーや洗面台、トイレが個室内にある1人用A寝台個室「ロイヤル」など、豪華な設備が話題になり人気を博し、定期列車だけで最大1日3往復が運転されましたが、人気は高く寝台券が取れない状況が続き、繁忙期には臨時列車として食堂車などを連結しない臨時寝台特急「エルム」や、豪華な寝台車、展望食堂車、 ラウンジカーの「夢空間」を併結した「夢空間北斗星」なども運転されました。「エルム」は2006(平成18)年頃まで運転され、「北斗星」は北海道新幹線開業に向けた工事の本格化で、2015(同27)年に惜しまれつつ運転を終了しました。

臨時特急「カートレイン北海道」
臨時列車の中で変わり種と言える列車がこの「カートレイン北海道」でしょうか。国鉄末期の1985(昭和60)年、汐留~東小倉間で、マイカーを車に寝台客車と一緒に連絡して運転する 「カートレイ ン」の運転が始まります。 この列車は好評だったことから、1988(同63)年、青函トンネルが完成し津軽海峡線が開通したことをうけ、夏休み期間に恵比寿~白石駅間で「カートレイン北海道」が運転されました。恵比寿駅の貨物ホームで自動車を積載し、現在の湘南新宿ラインのルートで浦和は貨物線を通過、大宮より先は「北斗星」などと同じルートで函館本線白石駅まで運転されました。恵比寿駅貨物ホームの廃止などもあり、1997(平成9)年の運転が最後となりました。

浦和駅に停車していた列車たち⑩

寝台特急はくつる
1964(昭和39)年に上野~青森間を東北本線経由で結ぶ寝台特急として運転を開始。当初は20系客車が使用され ましたが、1968(同43)年10月の東北本線全線電化以降は、583系特急電車が長く使用されました。1994(平成6)年からは、東海道本線寝台特急「あさかぜ」の廃止で余剰となった24系客車で運転されるようになり、今から約20年前の2002 (同14)年12月、東北新幹線八戸延伸に合わせ廃止となりました。

急行「八甲田」
1961(昭和36)年に、上野~青森間を東北本線経由で結ぶ夜行急行として運転を開始。以降1993(平成5)年に臨時列車になるまで運転され、奥羽本線経由の急行「津軽」と並び首都圏と東北を結ぶ急行列車の代表格です。臨時列車としては1998(平成10)年まで運転されていました。1986(昭和61)年から、夏季に北海道に向かうライダーの需要を取り込むべく、バイクを積み込むことができる荷物車と寝台車を「MOTOトレイン」として併結するようになります。最初は青森到着後は青函連絡船に車を青連絡船で航まで運転されましたが、青函トンネル開業後は快に連結して函館まで運転されました。


浦和駅に停車していた列車たち⑪

特急「あいづ」
特急「あいづ」という列車名が上野~会津若松間を結ぶ特急列車に登場するのは1968(昭和43)年のことですが、1965(昭和40)年から上野~山形間の気動車特急「やまばと」の一部車両が郡山で切り離され会津若松まで運転を開始しており、ヘッドマークには「会津やまばと」と記されていました。また列車名としては1959(昭和34)年に仙台~喜多方間の準急が「あいづ」と命名されていました。運転開始後は一貫して1日1往復が同区間で運転され、東北新幹線開業後も運転が継続され、1993(平成5)年に廃止されるまで活躍を続けました。

特急「つばさ」
1961(昭和36)年に上野~秋田間を東北本線奥羽本線経由で結ぶディーゼル特急として運転を開始。夜行寝台特急「あけぼの」と並び奥羽本線を代表する列車でした。1975(同50)年からは485系特急型電車で運転されるようになり大幅なスピードアップも実現。1982(昭和57)年に東北新幹線が開業してからは多くの列車が福島~秋田間の運転になりましたが、上野~秋田間を直通する列車も山形新幹開業直前の1992(平成4)年までのみ残され、特急「あいづ」と共に新幹線開業後も東北本線で運転が続いた在来線特急列車になりました。現在は山形新幹線にその愛称が引き継がれています。

浦和駅に停車していた列車たち⑫

特急「やまびこ」
「やまびこ」という列車名は当初福島~盛岡間の気動車準急につけられた愛称名でした。その後列車名として一時姿を消しましたが、1965(昭和40)年に東北本線岡電化の際に上野~盛岡間の電車特急が「やまびこ」と命名され1往復が運転されました。1972(同47)年には東京~盛岡間を6時間10分で結ぶようになり、最盛期は4往復が運転されました。そして1982(同57)年、東北新幹線大宮~盛岡間開業で、速達タイプの列車にこの「やまびこ」が選ばれ、在来線からは姿を消しました。東北新幹線開業時から現在に至るまで「やまびこ」は親しまれています。

特急「いなほ」
「いなほ」は上野~秋田間を東北線高崎線上越線信越本線羽越本線経由で結ぶ気動車特急として1969(昭和44)年に登場しました。羽越本線と首都圏を直結する初の特急で、 1972(同47)年に電車化され485系電車が投入されました。1982(同57)年の上越新幹線開業後は運転区間を新潟~秋田・青森間に改め、新幹線と接続する特急になり、現在も羽越本線の特急として親しまれています。

特急「はつかり
東北本線にも特急列車を望む声が高まり、1958(昭和33)年、上野~青森間を常磐線東北本線経由で12時間で結ぶ特急の運転が開始されます。蒸気機関車が客車をけん引し、青函連絡船と接続し対北海道輸送の役割を果たすこの列車は「はつかり」と命名されました。1950(35)年にはキハ80が投入され気動車特急に、1968(同43)年には583系電車が投入され電車特急になり、同年10月から全線で120km/hで運転が可能になった東北本線経由に改められ、浦和駅を通過するようになります。1978(同53)年には最大の6往復運転になり、上野~青森間8時間50分で結びました。1982(同57)年の東北新幹線開業で運転区間は盛岡~青森間になりましたが、1988年に青函トンネルが開通すると、盛岡~函館間で運転されるようになりました。2002年の東北新幹線八戸開業で列車名が「白鳥」「スーパー白鳥」に改められ、東北本線の特急として長く親しまれた「はつかり」は姿を消しました。

浦和駅に停車していた列車たち⑬

急行「みやぎの」
1959(昭和34)年に全国で初の気動車急行として上野~仙台間を常磐線経由で結ぶ列車に「みやぎの」の愛称がつけられ運転を開始。1961(同36)年にこの列車が盛岡まで延長され「陸中」に改称され、東北本線経由の客車急行が「みやぎの」になりました。翌年10月に客車から電車急行になり、製造されたばかりの急行型電車451系が投入され、それまで6時間を要していたのが約5時間20分程度に短縮されました。そばコーナーを設けたビュフェ車も連結され好評を博しました。しかし1965(40)年には上野~仙台間を東北本線で結ぶ急行は「まつしま」に統一され、「みやぎの」は姿を消しました。

新幹線リレー号」
1982(昭和57)年6月の東北新幹線大宮~盛岡間開業に伴い、上野~大宮間の連絡列車として運転が開始されました。当初は185系のみならず115系電車や165系電車も使用されましたが、上越新幹線が開業した11月以降は185系電車で統一されました。新幹線の特急券もしくはFREX定期券を持っている人のみ乗車できる列車として運転されたことから、上野~大宮間はノンストップで、浦和駅は全列車通過となりました。1985(同60)年3月に東北、上越新幹線の上野開業で役割を終えました。

浦和駅に停車していた列車たち⑭

急行「津軽
急行「津軽」という名称の列車が定期列車として運転されるようになったのは1956(昭和31)年のことで、以降1993(平成5)年に臨時列車となり、1998(同10)年に運転を終了するまで、一貫して上野~青森間を結ぶ夜行急行列車の名称として使用されました。当初は上野と秋田、青森を直結する優等列車はこの「津軽」のみで「出世列車」と呼ばれることもありました。長く東北本線奥羽本線経由の夜行客車急行として運転されましたが、1990(同2)年には電車化され東北本線仙山線奥羽本線経由に変更されました。写真は電車化直前の1990年8月に、期間限定でヘッドマーク付きで運転された際の姿です。

ORIENT EXPRESS’88
オリエント急行は、1883(明治16)年からパリ(フランス)―イスタンブール(トルコ)間で運転を開始した国際列車です。1988(昭和63)年、そのオリエント急行を日本まで走らせるという壮大なイベントが、フジテレビ開局30周年を記念し、フジサンケイグループの主催で行われました。列車は9月7日にパリのリヨン駅を出発し、ベルリン、ワルシャワ、モスクワ、北京を経由、9月26日に香港に到着します。その後船で日本に運ばれ、台車などを交換し日本国内で走行できるよう準備され、10月からの約2か月強日本国内を駆け巡りました。そして同年12月23 日からの最終運行では上野~大宮間で蒸気機関車D51498と電気機関車EF5861が重連で牽引、ここ浦和駅蒸気機関車がけん引するオリエン 急行が通過しました。
現在D51498は上越線を走る「SLぐんま みなかみ」などで活躍しています。また、お召列車専用として製造されたEF5861は2008(平成20)年に現役を退き、鉄道開業150年の記念すべき年である2022年10月30日から、鉄道博物館で展示されています。