歩・探・見・感

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雑司ヶ谷霊園で発見した高田町時代のものと思われるプレート

雑司ヶ谷霊園にある花屋に設置されていたもの。この店の前は何度も通ったことがあるが、今回初めて気が付いた。

発見日  2023年10月8日

発見場所 東京都豊島区南池袋四丁目

木の板で左上部が覆われて、更に劣化しており、現地では何が書いてあるか全く読みとれなかった。
家で撮った写真を確認してみたところ、「高田町」と書いてあるように読める。ただし、自分が読めるというだけで、違うかもしれないので、自信がない。

中央は桜の花の模様の中に「高」の文字があるように見える。

こうなったらもう思い込みなので違うかもしれない。

高田町の歴史は以下のようになっている。

1889年(明治22年)5月1日
市制町村制により、北豊島郡高田村、高田千登世町、高田若葉町、雑司ヶ谷村、雑司ヶ谷旭出町と小石川区田豊川町、雑司ヶ谷町、さらに巣鴨村、小石川村、落合村の一部が合併され高田村となる。

1920年大正9年)4月3日
高田村が町制施行し高田町となる。(→高田町大字雑司ヶ谷、高田町大字雑司ヶ谷町)

1932年(昭和7年)10月1日
東京市編入により、高田町は巣鴨町、西巣鴨町、長崎町とともに豊島区となる。その際、町名及び町区域の変更が行われ、大字雑司ヶ谷、大字雑司ヶ谷町の大部分は、雑司ヶ谷町1~7丁目となる。

1956年(昭和31年)
町名・町区域変更。

1964年(昭和39年)
住居表示施行に伴い、雑司ヶ谷町4~7丁目は、南池袋1~4丁目等となり、雑司ヶ谷町1~3丁目等が、雑司ヶ谷1~3丁目となった。

そうなると1932年以前に設置されていたことになるが、たぶん戦前からありそうな花屋なので、あったとしても不思議ではない。

さて、これは何のプレートなのだろうか?

高田町のことを調べていたら、高田町時代のマンホール蓋が現存しているらしいことが分かった。

何枚現存しているのかは調査中だが、また新たな探索目的ができたことは喜ばしいことである。