今回の探索の一つの目的はこれ(①)だった。
風雨が強い中、付近を1周してしまった。
路地の奥というわかりにくいところにあった。
普段探すのにスマホを頼らないことにしているのだが、雨ということもあり、頼ってしまった。
①豊島区雑司ヶ谷町3丁目33番地
発見日 2022年4月4日
発見場所 東京豊島区雑司が谷3丁目
住所部分を拡大したもの
豊島区の文化・観光・交流都市情報 イケ-サークルより
雑司が谷には、手塚治虫がトキワ荘の次に住んだ並木ハウスがあります。手塚のトキワ荘・並木ハウス時代の連載作品としては、「ジャングル大帝」をはじめ、「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」などが挙げられます。平成22年にオープンした雑司が谷案内処2階ギャラリーでは、手塚治虫が並木ハウスについて紹介するパネルが展示されています。建物は昭和28(1953)年築で、木造モルタル二階建て。戦後のアパート建築として典型的な仕様となっているが、現在では希少な存在です。平成30年に国の有形文化財(建造物)に登録されました。
文化遺産オンラインホームページより
雑司ヶ谷鬼子母神堂の参道の路地奥に西面して建つ。木造二階建で、切妻屋根をT字にかける。北に階段や共用部をまとめ、幅広の中廊下を通し、三方に大小の部屋を配する。床の間付の部屋もある上質な仕様の木造賃貸アパートで、手摺の意匠にも気品がある。
※入居者以外は立ち入り禁止。
②豊島區雑司ヶ谷町1丁目366番地
発見日 2021年3月4日
発見場所 東京都豊島区雑司が谷1丁目
「豊島區」と旧字体で右書きなので、戦前のものの可能性がある。
「雑」の旧字体である「雜」もいい味出している。
③~④は2022年8月10日追記
③豊島区雑司が谷一丁目
発見日 2021年3月4日
発見場所 東京都豊島区雑司が谷1丁目
これは現住所が記載されているので、誤って町を付けてしまったものだろう。
④豊島区雑司ヶ谷町四丁目六三五番地
消滅
この辺りは再開発で、すでに解体されており、道路毎無くなっていた。
歴史
明治元年11月5日(1868年12月18日)又は明治元年11月14日(1871年12月25日)
東京府豊島郡に所属。
1872(明治5)年
雑司ケ谷鬼子母神町、雑司ケ谷本染寺町を合併。
1889(明治22)年5月1日
飛び地は東京府北豊島郡高田村に編入され、大字雑司ヶ谷町となる。
1920(大正9)年4月3日
高田村が町制施行し、東京府北豊島郡高田町大字雑司ヶ谷町となる。
1932(昭和7)年10月1日
高田町は巣鴨町、西巣鴨町、長崎町と合併し、東京府東京市豊島区が発足。東京府東京市豊島区に所属。雑司ヶ谷町一~七丁目になる。雑司ヶ谷町一、三丁目、日出町二丁目に再編。
1943(昭和18)年7月1日
東京都豊島区に所属。
1960(昭和35)年
四丁目は池袋東一~三丁目に、五丁目は池袋東一~三丁目、雑司ヶ谷町三丁目に、六・七丁目の各一部は池袋東二丁目に編入となる。
1966(昭和41)年11月1日
住居表示の実施により、雑司ヶ谷一・二丁目の各一部をもって雑司が谷一丁目に、雑司ケ谷町一~三丁目と高田本町一・二丁目をもって雑司が谷二丁目に、池袋東二丁目と雑司ケ谷町二・三丁目と高田本町二丁目と目白町二丁目をもって雑司が谷三丁目に、また雑司ヶ谷一・二丁目のそれぞれ一部は南池袋四丁目の一部に、雑司ヶ谷三丁目の一部は南池袋三・四丁目のそれぞれ一部に、雑司ヶ谷六丁目は西池袋二丁目に、雑司ヶ谷七丁目の一部は西池袋一・二丁目のそれぞれ一部に編入となる。
地名の由来
元弘・建武の頃,雑色職をつとめた武士がここに住んでいたことによるとする説など諸説がある。
都電荒川線に「都電雑司ヶ谷」という駅があり、東京メトロ副都心線には「雑司が谷」という駅がある。
都電雑司ヶ谷(都電荒川線) →1925年(大正14年)開業
雑司が谷(東京メトロ副都心線)→2008年(平成20年)開業
都電雑司ヶ谷がもともと雑司ヶ谷と呼んでいが、副都心線開業により雑司が谷駅が開業するのに合わせて、都電雑司ヶ谷と名称変更された。
都電雑司ヶ谷の住所は南池袋3丁目だが、南池袋になる前が雑司が谷4丁目と呼ばれていた(雑司が谷駅は雑司が谷2丁目)。
後にできたメトロの駅名を「鬼子母神前」すればよかったのではないかという意見も見受けられ、がってんだった。