幅がほとんどない線があるだけの超狭い歩道を前から来る車におびえながら、歩いていた。
地方に行くと結構そのようなところがある。
そのようなところは、だいたい自分一人だけしか歩いていなく、たまに自転車が通るくらいだ。
大型トラックがすぐ横を通っていく。
砂埃が舞う。
ひぇ~。
このような怖い思いをたまにしながら、日々探索を続けている。
更に地方あるあるは単調な道。
周りは田んぼや畑だらけ。
のどかでいいのだが、探そうにも何もない。
雲の写真を撮るしかないのようなところ。
流石にこういうところの移動手段はバスかせめて自転車がいいなあと思うが、徒歩を原則としているで、淡々と歩く。
次の目的地まで遠い。
地方の地図は3万分1か5万分1になっていることが多い。
通常の1万分1と比較すると当然であるが、距離が3倍や5倍になっている。
道も大きな道しか載っていない。
スマホの地図にはあまり頼らないことにしている。
しかし、このようなところでは必須だ。
地図に目印がなく、全然違うところに行ってしまうことがあるからだ。(実際によくある、そして大きなタイムロスになる。)
スマホで現在位置と目的地を確認しながら進む。
しかし、中々たどり着かない。
もうすぐ暗くなってしまいそう。
予定通り進まず、探索途中でクローズ。
次の目的地は次回に、となってしまう。
機具置場と書かれている建物の軒下に白いものが見えた。
表札かな?
気になったので、近寄ってみた。
発見日 2023年11月30日
発見場所 埼玉県幸手市大字神明内
上の方は暗く、汚れているので、読みにくいが、なんと、なんと、なんと「権現堂川村」と書いてあるではないか!
表札ではないのが残念だが、村時代のものは、中々見つからない。
このようなものを見たのはたぶん初めてである。
"第三分團"とあるから、"第一"や"第二"もあったのだろう。
今も残っているだろうか?
権現堂川村の歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、権現堂村、神明内村、木立村、上吉羽村が合併して発足。
1954年(昭和29年)11月3日
幸手町・行幸村・上高野村・吉田村と合併し、改めて幸手町が発足。同日権現堂川村廃止。
警防団(けいぼうだん)とは
第二次世界大戦勃発直前の1939年(昭和14年)に「警防団令」(1月25日公布、4月1日施行)を根拠として、主に空襲或いは災害から市民を守るために作られた団体である。警察および消防の補助組織としての任務が課されていた。
ということなので、これは戦前の物と思われる。
"団"が"團"という旧字体になっているので、それを物語っている。
今までに発見できている権現堂川村の痕跡はこれ以外に同日発見した道路元標があるのだが、それについては、近日中に紹介したいと思っている。