さいたま市緑区三室を探索していると、宿区自治会と書かれた掲示板をよく見かけるのだが、「宿区」の意味が分からなかった。
調べてみたところ、江戸時代、三室村は山崎、宿、松ノ木、芝原、馬場の5つの組からなっていたとある。
※組とはコトバンクによると「日本の村落のなかで、もっとも狭い地区につくられた地縁的な機能(関心)集団のことをいう。」とある。
ということは、掲示板の「宿区」はこの「宿」からきていることが想像できる。
今回探索していたところ、「三室宿」という興味深い表札を発見した。
以前もこの付近は探索したことがあり、これが設置されているお宅の前を通っているはずだが、その時は気が付かなかったようだ。
発見日 2022年12月12日
発見場所 埼玉県さいたま市緑区三室
現存している小字には「東宿(ひがししゅく)」「西宿(にしじゅく)」「南宿(みなみしゅく)」「北宿(きたしゅく)」の4つしかないはずだが、「宿」だけとは何だ?
調べてみよう。
三室村が浦和市に編入合併されたのが、1940年(昭和15年)ということはわかったが、それ以上の情報は発見できなかった。
今昔マップを見てみよう。
1954年までの地図には「宿」とあり、1965年以降の地図には「東宿」「西宿」「南宿」「北宿」の4つに分かれている。
ということは、1954年から1965年の間に分かれたと考えられ、「大字三室字宿」が存在していたとしてもおかしくない。
しかし、表札はプラスチック製のようだし、新しすぎる。
理由を考えてみたところ、次の三つを思いついた。
①木製の表札が古くなり、読みにくくなったので、作り替えることにし、新しく作る時に元の表札の住所をそのまま使った。
②家族が増えたので、表札を作り替えることにし、新しく作る時に元の表札の住所をそのまま使った。
③「三室〇宿」とすべきところを間違えて、三室宿としてしまった。
さて、どれだろう?
「大字三室字宿」であれば、旧町名扱いになるのだが。
どれでもないということもあるが、真相はいかに。