「木染」は現存の小字名だが、入間郡富士見町時代のものなので、紹介したい。
「木染」は新河岸川と富士見川越バイパス(旧富士見川越有料道路)の間にあるのだが、ほとんど畑だらけで、新しく建てられた住宅もあるが、新河岸川に沿った道沿いの両側に昔からありそうな農家が並んでいる。
大体このような農家には比較的新しい門柱が立っていて、表札はないか、あっても姓だけで、住所が記載されていないことが多い。
今回は農家にではなく、20軒くらいの民家が密集しているところにあった。
そんな民家が少ない地域に存在しているだけでも貴重ではないかと自分では思っている。
探索していると小字名が記載されている表札の存在率はとても低いと感じる。
小字が現存している地域でも小字付の表札はなかなか見つからない。
ということで、このブログでは旧町名ではないが、貴重な小字付の町名も積極的に紹介していきたいと考えている。
発見日 2022年4月21日
発見場所 埼玉県富士見市下南畑
木染自治会
木染集会所
歴史
もとは江戸期より存在する下南畑村であった。古くは難波田と称されていたが、その文字が災いをもたらすとして安永年間に幕府へ申し出て南畑に改名された。
元禄年間時点では幕府領。
1876年(明治9年)
埼玉県に所属する。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、上南畑村・下南畑村・南畑新田村・東大久保村が合併して入間郡南畑村が成立する。旧村は南畑村の大字となる。
1956年(昭和31年)9月30日
入間郡鶴瀬村・入間郡南畑村・北足立郡水谷村と合併して入間郡富士見村となり、富士見村の大字となる。
1964年(昭和39年) 4月1日
町制施行。入間郡富士見町の大字となる。
1972年(昭和47年) 4月10日
市制施行。富士見市の大字となる。
新河岸川の柵に取り付けられていた。
以前紹介した河童の絵よりかわいい。
この地域の地図の一部
木染橋を渡る。
地図でいうと下の左側、見えないが貝塚1丁目、2丁目がある。
入口に設置されていた看板。
近くに水子貝塚があるので、古代人だろうか?
胸の数字の「9」は何を意味しているのだろか?
あっ !「9」ではない、勾玉だ!
寺下商店街があった。
シャッターを下ろした店舗が多い。
ある資料によると貝塚1丁目、2丁目の世帯数は約600とある。
いつ頃この住宅地ができたのかわからないが、最盛期はこの商店街も栄えていたのだろう。
左側の坂を上がった所に、「大應寺」がある。
その下にあるので、「寺下」と付けられたのかもしれない。
「寺下」の小字付きの表札を探したが、発見することはできなかった。
時間の関係で600世帯すべてを探索したわけではないが、「大字水子」の表札をいくつか見かけただけだった。
この後は、みずほ台駅まで何も見つからなかった。