今回、この仁丹町名表示板を単独で取り上げることにしたのは、仁丹町名表示板を取り上げているホームページ等に発見日時点で確認できなかったものを、以前発見していたからだ。
今回、再確認するために再訪した。
発見日 2022年11月14日(再訪日2024年1月4日)
以前発見されていたが、ある時期から消滅し、再び蘇ったと思われる仁丹町名表示板
もうなんだかよくわからない"東入二筋目西入"という書き方が気に入っている。
調べてみると"二筋目"と書かれているものは他にもあるようだが、"東入"と"西入"の両方が書かれているものは、珍しいのではないか。
知らんけど。
細部を見ると修復されたような筆遣いが見える。
素人目に見ても、周囲の青や商標の赤の色も違うような気がする。本職ならできるのだろうけれど当時の色を再現するのは難しかったのだろう。
町名部分にはオリジナル部分も残っているところもあるようだ。
修復して復活してくれた方に感謝。
もう探しつくされた感があるのかもしれない、自分のようなマニアの方はいるのだろうけれど、最近では、ネットを見ても、あまり仁丹の町名表示板のことを取り上げている方はいないようだ。
もしかしたら、京都仁丹樂會さんを除けば、自分くらい(内容はとても薄いけれど)?
知らんけど。
このように復活した仁丹が発見されることがあるようなので、今まで探索したところも、復活したものがないか調べてみる必要があるなと思った。
しかし、そうたびたび訪問できないところが難点で、次回訪問するときには、そんなこと忘れてしまいそう。
西廬山寺町の町名の由来
天正(一五七三―九二)以前、当町東方の西社町にあった廬山寺(現上京区北之辺町)の西方にあたるからという(坊目誌)。