歩・探・見・感

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熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)の境界標

今日(2024年2月29日)は曇り空だったが、風もそれほどなくちょうどいい気候であった。

ネットで調べていたら、ここの存在を初めて知った。

桶川駅からかなり離れているが、いつものように寄り道をしながら、徒歩で向かった。



最初の目的は、桶川飛行学校平和記念館に向かうこの道の両脇にあると思われる陸軍境界標を見つけることだった。



まず右側から確認していくことにしよう。

右①

右②

右③

右④

右⑤

右⑥

右⑦

⑧門の右側


右側に上記の8本が確認できた。


あれ?

門が閉まっている。

なぜ?

今日は木曜日だが?

月末日も休館だって。

今日は2月29日、だからか。

事前に調べたつもりだが、まさか、月末日が休みなんて、気が付かなかった。

仕方ない。

また来るか。

でも遠いなあ。

本数が少ないようだが、今度来る時はバスにするか。

門の手前にあったものだけでも紹介しておくことにしよう。

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 弾薬庫と周辺施設

市指定文化財 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場建物 弾薬庫
種別:有形文化財(建造物)
平成28年2月29日指定

弾薬庫は、桶川分教場の時代から存在する建物の一つで、鉄筋コンクリート造平屋建て、室内の内寸が間口1.82m、奥行き1.47mほどの小さな建物です。室内の床を地面より高くすることで、湿気が上がらないように配慮されています。屋根を木造、壁をコンクリート造とすることで、爆発したときには屋根のみが引き飛ぶ構造とされています。桶川分教場は戦闘用の基地ではなく、あくまで訓練用の施設であったため、大きな弾薬庫が必要なかったものと考えられます。

飛行場(滑走路・格納庫)
荒川の西側にある河川敷に、かつては滑走路と格納庫を備えた60万㎡ほどの飛行場があり、生徒はそこで通称「赤とんぼ」と呼ばれる九五式1型練習機に乗って操縦訓練を受けていました。当時の飛行場は残っていませんが、現在、同じ場所を本田航空株式会社が滑走路として使用しています。

境界杭
敷地の周囲には境界を示す杭が残り、「陸軍」と刻まれています。桶川分教場の敷地は複数回にわたって買い増しされています。
  令和2年3月 桶川市

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)は、昭和10年に開校した熊谷陸軍飛行学校(現在の航空自衛隊熊谷基地)の分教場として、昭和十二年六月ここに開校しました。
守衛所(衛兵所)、車庫、本部宿舎、便所、弾薬庫などが現存し、滑走路は荒川の対岸にあり、現在、ホンダ航空が使用しています。川島町側、本田航空社屋脇の堤防から滑走路に向かう広々とした所には、格納庫と現地事務所がありました。教官、学生以外は熊谷本校に雇用された地元の人たち(軍属)で、学校事務のほか、飛行機の整備や通信、気象などの業務にあたりました。
昭和十八年三月までは、ほかの兵科から飛行兵を希望してきた召集下士官学生を教育し、以後、陸軍少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官など、昭和二十年二月の閉校までに二十期余り、推定千五百~千六百の飛行兵を教育しました。昭和十八年九月に卒業した陸軍少年飛行兵第十二期生は四十五名中十八名が、昭和十九年三月卒業の特別操縦見習士官第一期生は八十余名中二十名近くが戦死しています。
昭和二十年二月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、同年四月五日、陸軍初の練習機による特攻となる特別攻撃隊第七十九振武隊が出撃基地である鹿児島県知覧飛行場に向け出発しています。隊員十二名は四月十六日に沖縄の海に向け出撃し、十一名がなくなりました。特攻機は隊員たちが高等練習機を近隣の飛行場から集めてきて戦闘機の色に塗装したもので、尾翼に描いた標識(マーク)も隊員たちが考案したものだあると推定されています。特攻機知覧飛行場に向かう際、下関の小月飛行場まで同乗していった元整備員の体験談も公表され、また、特攻隊出発時の写真や隊員の手記、寄せ書きなども残されています。
戦後、旧校舎は内部を改造して、住宅困窮者の住居(通称「若宮寮」)として使用され、昭和三十一年には六十四世帯、三百人余りがひとつのコミュニティを形成していました。
平成十六年、桶川市による戦争体験記募集の事業をきっかけに、この歴史を調査記録するNPOが設立され、多くの関係者の手記や当時のエピソードが収集されています。平成十九年三月に最後の住民が転出した後、桶川市は、同NPOが実施した保存署名に応える形で敷地を国から購入し、現在、保存に向けて事業が進められています。
 平成二十七年五月
 看板寄贈 桶川ロータリークラブ
 文責 NPO法人 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会

来た道を戻る。

左側にある境界標を探していく。

左①

左②

左③

左④



周辺にあるか探してみることにした。

坂を下り、桶川総合運動場脇の道を歩く。

途中、坂があり登ると、分教場のすぐ裏で、土地が売り出されていた。

ホンダ開発株式会社?

本田技研工業株式会社の子会社だった。

ここは本田航空の土地らしい。

こんな場所、売れるのか?

途中登る道がない。

圏央道付近まで来て、よくやく登る道があった。

分教場付近に戻る途中に牧場もあった。

ということで、境界標は桶川分教場前の道にしか見つからなかった。