歩・探・見・感

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小字町名 松戸市岩瀬字○○

松戸市の岩瀬は現存している町名で、小字が付いているが、旧町名ではないと思われるので、小字町名としている。

どれか忘れたが、激坂の下の住宅地にあった。

この辺りもスリバチ地形のような感じだが、「千葉スリバチの達人」や「千葉凸凹地図」に掲載されているのだろうか。

 

発見日  2022年9月22日

発見場所 千葉県松戸市岩瀬

 

松戸市岩瀬字塚田608-7

「塚田」には相模台小学校があり、こちらは宇宙飛行士の山崎直子さんの母校だそうだ。

 

松戸市岩瀬字向山593-2

「向山」は、谷を挟んで向いの山ということを意味していると思われるので、「相模台」の向いというより、北側の根本城のあった「根本」の台地の向いの山という意味と考えられるのかもしれない。

 

③岩瀬相模台266-3

『松戸の歴史案内』(松下邦夫著)によれば、 「建長元年(一二四九)に、房総三ヵ国の守護北条武蔵守長時が上総国山辺郡松之郷村と、松戸市の岩瀬村に城を築き、数代にわたってその家臣達が居城したといいます。 嘉歴元年(一三二六)になると、北条相模守高時が入道して崇鑑と号し、岩瀬に居城します。こうしたことでこの地が『相模台』といわれる様になったという訳です。」 とある。

 

松戸駅東口のこの辺りは小弓公方足利義明が奮戦ののちに討ち取られた相模台城(別名岩瀬城)だったそうだ。

往時を偲ばせるものはほとんどないらしいが、聖徳大学構内に「相模台戦跡碑」の石碑と、この合戦での落命した足利義明親子兄弟を弔ったと言われる「経世塚」があるらしい。

 

松戸中央公園内にある「相模台の変遷」に少しだけ説明が書いてあった。

この地、相模台は戦国時代の天文七年十月小田原の北条氏と里見氏等が合戦した(国府台の戦い)激戦地であるといわれている。
その後この地は幾多の変遷を経て大正八年には陸軍工兵学校が開設されて以来太平洋戦争終結の昭和二十年まで存続し教育終了者は各所に配属され工兵の街松戸は、広く知られるようになった。公園入口の門柱と門衛は工兵学校当時のなごりをとどめている。

 

地名の由来

江戸期は岩瀬村。地名は江戸川に流れ込む細流(瀬)と当地特有の褐鉄鉱岩盤が出土することから、この瀬・岩が組み合わされたことによるという。また往時はもっと河川に近く、そこから命名されたものか。「岩瀬」とは石の多い川瀬をいう地名で、渡渉地点として用いられたとみられる。