歩・探・見・感

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旧町名&電力プレート 葛飾区下小松町

この辺りは何を目的にして訪問したのか忘れたが、以前探索したことがあった。

その時は③の電力プレートを発見していたのだが、「シモコマ」が何の略か調べるのも忘れていて、そのまま放置して1年以上が経過してしまった。

今回再探索を実施し、旧町名「下小松町」の痕跡を新たに発見したので、合わせて紹介することにしよう。

 

葛飾区下小松町二

発見場所 東京都葛飾新小岩四丁目

発見日  2022年10月1日

シールが貼ってあったのだろうが、剥がれてしまったようで、はっきりと見える。

他にもシールの下に旧町名が隠されていそうな表札がいくつもあり、剥がれてほしいと思っているのだが、このようになるまでには時間がかかるのだろうなあ。

 

次は電力プレートだが、同じ町域で3枚も現存しているのは珍しい。

 

②シモコマ-7

発見場所 東京都葛飾新小岩一丁目

発見日  2022年10月1日

 

③シモコマ-105

発見場所 東京都葛飾新小岩四丁目

発見日  2021年8月26日

 

③シモコマ-127

発見場所 東京都葛飾東新小岩一丁目

発見日  2022年10月3日

番地を意味する数字が3桁のものもレアである。

「シモコマツ」でもよかったと思うが、番地が3桁のものがあるから収まるように「シモコマ」にしたのかな?

「シモ」より「コマ」の文字が小さく見えるのは気のせいか?

 

 

下小松が付くものを探していたら、「下小松橋」というバス停を発見した。

「下小松橋」という橋は見つからなかった。

 

でも「小松橋」はあった。

 

小松橋交番

 

他に小松が付くものを探していたら、いくつかあった。

 

葛飾区立小松南小学校

平成13年4月、旧小松小学校と旧松南小学校が一緒になって、「小松南小学校」としてスタートしたそうだ。

小松小学校の沿革

明治36.6.5
現東京都葛飾区下小松町照明寺庫裡に奥戸小学校下小松分教場創立

昭和10.5.20
下小松分教場廃止、小松尋常小学校として独立

松南小学校の沿革

昭和26.11.27
葛飾区立小松小学校分校として開校

昭和27.4.1
葛飾区立松南小学校として独立開校

 

葛飾区立小松中学校

沿革

昭和23.3.31
東京都葛飾区立第十四中学校として設置

昭和24.10.21
東京都葛飾区立小松中学校と校名変更


上小松」が付くものは上小松小学校、上小松公園、上小松図書館と複数あったが、
まだ、「上小松町」の痕跡は発見できていない。

 

明治13年迅速測図

上小松村、下小松村がある。

 

下小松天祖神社にある佐藤栄太郎翁大鳥居奉献碑

東京府南葛飾郡奥戸村大字下小松」と旧町名が彫られていた。

 

佐藤栄太郎翁を調べていたら、東榮信用金庫の沿革に掲載されていた。

昭和13年9月8日
産業組合法により有限責任下小松信用組合設立 初代組合長 佐藤 重
葛飾区下小松1402番地へ事務所をおく

昭和17年3月10日
事務所を葛飾区下小松町1429番地へ新築移転(現在地)

昭和23年4月29日
第2代組合長 佐藤栄太郎就任

昭和24年4月9日
市街地信用組合法により下小松信用組合に改組

昭和27年5月15日
信用金庫法制定により東栄信用金庫に改組 
初代理事長 佐藤栄太郎就任


歴史

1889年(明治22年)5月1日
町村制の施行に伴い、上小松村、下小松村、奥戸村、奥戸新田、曲金村、細田村、鎌倉新田の全域と、以下の2村の各一部が合併して奥戸村が発足(カッコ内は残部の編入先)。
上一色飛地鹿本村
新宿町飛地(新宿町)

1930年(昭和5年)11月3日
奥戸村が町制施行して奥戸町となる。

1932年(昭和7年)10月1日
南葛飾郡全域が東京市編入奥戸町の区域は葛飾区となる。

1965年(昭和40年)
一部を江戸川区小松川4丁目(現・中央4)に編入

1968年(昭和43年)
住居表示実施により、新小岩1〜4、東新小岩1〜4、西新小岩1、奥戸4となり、下小松町は消滅。

 

葛飾区史」「子ども葛飾区史」「第3章 地域の歴史 かつてあった地名の由来」

1968(昭和43)年まで、「上小松町」・「下小松町」という「小松」がつく地名がありました。現在の新小岩東新小岩西新小岩奥戸の一部です。
 「小松」という地名は、約620年前の室町時代の資料にも出てくる古い地名です。
 なぜ、このような地名になったのかは、はっきりとわかっていません。