歩・探・見・感

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琺瑯住所プレート 羽田二丁目16番地

発見日  2020年8月15日

発見場所 大田区羽田3丁目

現在は、「羽田三丁目」になっているが、設置時期は「羽田二丁目」だったようである。そこで、「羽田三丁目」の沿革を明治まで遡って調べてみた。

明治22年(1889年)
市制町村制施行に際し、1町22村が廃置分合され、荏原郡蒲田村、六郷村、羽田村、矢口村の4村に編成された。
この時の町名は、羽田村羽田猟師町だったようある。
1889年以前は羽田猟師町と呼ばれていたようある。

明治40年(1907年)
町制を施行し、羽田町となった。

昭和7年(1932年)
蒲田区が成立する。
羽田町域は羽田一丁目から三丁目等に編入される。
ここで住所プレートに表示されている町名「羽田二丁目」が登場する。

昭和33年(1958年)
羽田一丁目から羽田三丁目を羽田一丁目から羽田六丁目に再編。
この時点で、「羽田二丁目」から「羽田三丁目」になったようである。

ということは、このプレートは、昭和7年(1932年)から昭和33年(1958年)の間に設置されたと思われる。となると、少なくとも設置されてから、60年以上が経過していることになるわけだ。

国立市タイプ」と同様自治体名が記載されていないが、これは、「羽田」で大田区とわかる。
国立市琺瑯住所プレートの記事は最初投稿した時は、何も文章を記述していなかったのだが、加筆したので、お時間がある方は、再訪問いただけるとありがたい。

右上に町名、左上に丁目、下部に番地という他では見ない構成である。
大田区で発見できた琺瑯住所プレートは、今のところ、これ1枚だけだが、「大田区タイプ」と名付けることにしよう。

「羽田」の「羽」の字の右下に真円に近い穴が開いているのが残念だが、ここだけ腐食したのだろうか?

これが設置されている下に金属住所プレートも設置されているのだが、それは別の機会に紹介することにしたい。

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