江戸東京たてもの園シリーズ3
今回は江戸東京たてもの園で旧町名、琺瑯住所プレート、電力プレート、電話番号プレート、会員プレートなどを発見した。
このようなプレート類まで一緒に移築してくれたとは嬉しいことである。
いくつかは既知のものがあり、他の方が紹介されているので、レア感がないかもしれないが、折角なので、改めてという形になってしまうかもしれないが、紹介することにしよう。
発見日 2022年4月14日
①東京市目黒區三田
古いリボンシトロンのビンのラベルに旧町名が記載されていた。
現東京都目黒区三田
歴史
1887年(明治20年)9月6日
有限責任日本麦酒醸造会社設立。
1889年(明治22年)5月1日
荏原郡三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村が目黒村になる。
1889年(明治22年)10月
日本麦酒の目黒工場完成(東京府荏原郡目黒村大字三田二百四十七番地)
1893年(明治26年)2月4日
日本麦酒株式会社に社名変更。
1906年(明治39年)3月26日
大阪麦酒・日本麦酒・札幌麦酒の3社合同により、大日本麦酒株式会社を設立。
1922年(大正11年)12月1日
荏原郡目黒村が荏原郡目黒町になる。
1932年(昭和7年)10月1日
目黒町と碑衾町が東京市に編入、2町の区域をもって東京市目黒区となる。
1948年(昭和23年)2月8日
過度経済力集中排除法に基づく指定会社に。
1949年(昭和24年)9月1日
大日本麦酒解散。後継会社として朝日麦酒(現・アサヒグループホールディングス)と日本麦酒(現・サッポロホールディングス)の2社が発足。
1952年(昭和27年)3月26日
大日本麦酒、清算業務終了。
1964年(昭和39年)1月
日本麦酒株式会社は、社名をサッポロビール株式会社に変更。
1988年(昭和63年)6月
恵比寿工場閉鎖
1994年(平成6年)10月
複合施設「恵比寿ガーデンプレイス」開業
リボンシトロンの歴史
1909年
サッポロビールの前身である大日本麦酒によりレモン風味の炭酸飲料「シトロン」として発売(シトロンは柑橘類の一種の名)。
1914年
同社の清涼飲料にリボンブランドを採用。
1915年
シトロンもリボンシトロンと改称して現在に至る(社内でブランド名を公募し選ばれたのが「リボン」だった)。
②東京都中央區日本橋兜町
これもラベルに旧町名が記載されていた。
現東京都中央区日本橋兜町
現在は「丁目」の設定のない単独町名となっている。
1982年1月1日に住居表示を実施した。
③田園調布6丁目
田園調布でこのタイプの住所プレートは見たことがないが、探せば見つかるだろうか?
現田園調布4丁目
現在の大田区田園調布は一丁目~五丁目から成っている。
1932年(昭和7年)
東京市に編入。東京市大森区田園調布の成立。
東調布町の大字下沼部が田園調布一丁目 - 三丁目に、大字上沼部が田園調布四丁目となった。
1943年(昭和18年)
東京に都制が敷かれ、田園調布は東京都大森区田園調布となった。
1947年(昭和22年)
大森区と蒲田区が合併し大田区となり、東京都大森区田園調布は大田区田園調布となった。
1960年(昭和35年)
地番を整理するとともに、田園調布一丁目 - 四丁目を田園調布一丁目 - 七丁目に編成替えした。
1970年(昭和45年)
住居表示制度施行に伴う町の境界地名地番の改正。
中原街道から北側の田園調布三丁目 - 七丁目が田園調布一丁目 - 五丁目となった。
琺瑯住所プレート
④神田區須田町一丁目三番地六
現千代田区須田町1丁目
「神田區須田町一丁目三番地三」のものは現存しているので、これが設置されている建物は、この近くにあったのだろう。
電力プレート
⑤エビス1-7
現渋谷区恵比寿
これは「恵比寿通」時代の電力プレートだ。
1966年(昭和41年)7月1日に住居表示が実施され、消滅。
⑥48
数字の意味は不明。
東電が右書きなので、戦前のものだろうか?
電力プレートは⑤のタイプのものだけ見ていたので、このタイプのものは、探索対象外だった。
⑦下谷區社会事業協会 正会員
現台東区
1878年(明治11年)11月2日
郡区町村編制法により、下谷区を設置。
1947年(昭和22年)3月15日
浅草区と合併して台東区を新設。
⑧青梅町商工会員
現東京都青梅市
それぞれ味がある文字だ。
⑨東京市水道局 神田區
現東京都千代田区
⑩電話番号プレート
青梅市を訪問した時、いくつか4桁の電話番号プレートを見かけたことがある。
江戸東京たてもの園に行ってみたくなったのではないだろうか?
400円で一日楽しめる。
まだ桜も咲いている。
コロナの影響で入れないところもあるが、行ったことがない方は、この週末どうだろうか?
江戸東京たてもの園シリーズは今回でおしまいの予定。