発見日 2021年10月4日
発見場所 東京都足立区宮城1丁目
沿革
明治22年(1889年)5月1日
南足立郡宮城村が周辺の村と合併し、江北村が成立。東京府南足立郡江北村大字宮城となる。
昭和7年(1932年)10月1日
南足立郡が東京市足立区となる。宮城は荒川放水路より北部(小字が薄本、猟師田、八反目、高崎の地域)が北宮城町、南部(小字が合ノ谷耕地、居村、前耕地、川端耕地の地域)が南宮城町と定められる。
昭和32年(1957年)11月1日
南宮城町土地区画整理事業の完了に伴い、南宮城町全域が宮城町に改名される。
昭和41年(1966年)4月1日
荒川河川敷内を除く宮城町内に住居表示が実施され、宮城一丁目・二丁目が成立し、一部町域は小台二丁目に編入される。
町会名は、よく旧町名が元になっていることも多いので、調べてみた所、現在は宮城町会と宮城第三団地自治会しかないようなので、この町会会員プレートは昭和32年以前に製作された可能性がある。錆び具合から古いものであることは確かである。
地名の由来
宮城は昔、「宮木」とも書いたとのこと。室町〜戦国期の武将、岩付太田氏の重臣宮城氏がこの地を治めていたことによるともいわれているが、はっきりとした由来はよく分かっていないようだ。
宮城県の「宮城」のいわれは、塩竈神社(宮)と多賀城(城)によるとするもの、屯倉(ミヤケ)が宮城となったとするもの、また多賀城=「みちのく遠の朝廷(とおのみかど)」の意味で「宮城」とされたという説がある。