昨日(2021年10月4日)も東京の最高気温は、29.7℃と暑い日だった。
この日の最大の目的は、目撃情報があった堀船の琺瑯町名看板の写真を撮りに行くことだった。
また、前置きがあるが、読みたくない人は飛ばしてもらって結構である。
当然だが、暑いと汗をかく。その汗がリュックサックのショルダー部分にしみこんで、「匂う」ではない、「臭う」のである。
無謀にも洗濯機で何回か洗ってみたが、使っているとすぐ臭うようになってしまう。
おかげでファスナーの開閉がうまくいかなくなったり、歩いているときに部品が取れて、どこかに落としてしまったりと、ボロボロとまではいかないが、ボロくらいにはなってしまった・・・。
男性向けファブリーズを使ってみたが、効果がない。
仕方なく、香水をつけて臭いをごまかすのだが、それでも帰る頃には臭ってくる。
電車に座っている隣の人に臭いと思われていないか心配である。
幸いコロナでマスクを着けているので、気が付かれていないのかもしれない。
捨てればいいだろうと思う方もいるかもしれないが、TUMIのT-TECKで愛着があり、なかなか思い切れない。
10月だというのにまだまだ暑い日が続く。電車の隣の席の方、もし臭ったら、ごめんなさい。
くだらない自分の話で申し訳ない、ここから本題に入る。
他では見ない堀船タイプとでもいうべき「堀舟三ノ二十二」は消滅してしまったので、写真でしか見たことがなかったが、堀船タイプの2枚目が存在していたとは、感動的である。
発見日 2021年10月4日
「舟」は「船」が正しそうだが、間違いか?それとも何か意味があるのか?
設置されていたのは、神社の社務というところだろうか?
神社があればほぼ必ず立ち寄るが、いつも鳥居の前でお辞儀をする程度で、中まで入ってお参りすることはあまりない。
以前はよく御朱印をいただいていたのが、きりがないので、最近はそれもしなくなったなあ。
あっ、サイズを測ってくるのを忘れた。最近はいつもメジャーを持ち歩いているのに、なぜ測るのを忘れるのだろうか?
広告主の「朝日新聞 王子専売所」は現存しているようである。
名称は朝日新聞サービスアンカーに変更されているようである。
専売所といいながら、朝日新聞だけでなく、毎日新聞、産経新聞、東京新聞の看板もあるので、各紙取り扱っているようである。
歴史
1871年(明治4年)11月
浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。
1889年(明治22年)
町村制施行時点においては北豊島郡王子村に(1908年に町制施行し王子町へ)大字「堀之内」(ほりのうち)および大字「船方」(ふなかた)といった。
1932年(昭和7年)
王子町は東京市へ編入され王子区へ移行し、この時大字堀之内が堀船一丁目、大字船方が堀船二丁目となった。
1947年(昭和22年)
滝野川区は王子区と合併し北区が成立。
1956年(昭和31年)
町名整理により堀船一丁目・二丁目が再編され堀船一丁目 - 四丁目となった。
1964年(昭和39年)
住居表示が施行され、堀船一丁目 - 四丁目をそのまま継承し改めて堀船一丁目 - 四丁目が成立し現在に至っている。
地名の由来
江戸時代より、この地には「梶原堀之内村(かじわらほりのうちむら)」「船方村(ふなかたむら)」という地名があったが、昭和7年(1932年)に王子区ができた際に「堀之内村」と「船方村」の頭文字を取って「堀船(ほりふね)」と命名された。
ただ、船方村の読みが「ふなかた」となっていた名残で、一部施設の名称では「ほりふな」と読む場合がある。
堀船(ほりふな)小学校
大正5年(1911年)に誕生したそうなので、今年(2021年)創立100周年だそうだ。
堀船(ほりふな)中学校
昭和29年(1954年)創立
学校創立にあたり、地名から堀船中学校(ほりふな」との名称を授けられました。その後の昭和30年代半ばに行われた町名番地変更の際に、町名の読み方が「ほりふね」に変更となりましたが、学校の名称は変更せずにそのまま「ほりふな」の名称を使っております。(学校概要より)
田久保周誉著 堀船郷土史を語る会編で「平成増補版 堀船郷土史」という書籍があるらしい。北区の図書館に行けばあるのかな。
また、だらだらと長くなってしまった。こんな脈絡がない記事を最後まで読んでくれる人はいるのだろうか?