足立区旧町名街区表示板シリーズ第2弾
発見日 2021年10月7日
発見場所 東京都足立区東伊興3丁目
消滅年 2001(平成13)年
広告主 不明、下部に広告主スペースがある標準タイプ。
沿革
1968年(昭和43年)5月15日
伊興土地区画整理事業によって伊興町聖堂と伊興町白幡の大部分に伊興町狭間、伊興町五庵、伊興町谷下と竹塚町の各一部を合わせた町域から、東伊興町が誕生した。
伊興町白幡と伊興町狭間の一部の寺が密集するエリアは区画整理事業の対象外となる。
1988年(昭和63年)
再度住居表示を実施して東伊興町・西伊興町・伊興町谷下・古千谷町・古千谷五丁目の各一部をあわせた町域を現行の「東伊興1~2丁目」とした。
1999年(平成11年)7月3日
伊興町谷下の残り全部に伊興町前沼・伊興町白幡・伊興町狭間・東伊興町・竹塚町の各一部をあわせた町域を現行の「東伊興3丁目」とした。
2001年(平成13年)
伊興町白幡・伊興町狭間の区画整理事業対象外となっていたエリアと東伊興町の残りすべてをあわせた町域を現行の「東伊興4丁目」として新住居表示を完了し、東伊興町は消滅となった。
探索時に立ち寄った観光地
伊興寺町散策路(足立区観光交流協会のホームページより)
関東大震災後、都心及び各地より、14の寺院が伊興に移転してきました。13の寺院(長安寺・善久寺・浄光寺・法受寺・栄寿院・正楽寺・専念寺・正安寺・東陽寺・本行寺・常福寺・易行院・蓮念寺)は、東伊興四丁目(古くは伊興狭間)の一地域に移転し寺町を形成しています。少し離れた伊興本町一丁目に歌川広重で有名な東岳寺もあります。伊興本町二丁目にある伊興最古のお寺・応現寺を含めてお参りできます。
白幡塚古墳(足立区のホームページより)
直径約12メートル、高さ約2・5メートルの円墳ですが、その詳細は不明です。この付近の毛長堀南岸には、かつて擂鉢(すりばち)塚、甲(かぶと)塚、船山塚などの古墳があり、伊興古墳群を形成していましたが、現在はこの古墳だけが残っています。これらの内の擂鉢塚からは、人物・馬・円筒埴輪の出土が知られており、この古墳群が築造された年代はおおよそ5・6世紀と推定されています。
また、近くの氷川神社付近には豊富な祭祀遺物を出土する集落跡(伊興遺跡)があります。伊興古墳群は、この集落跡との関係と合わせ、東部低地の歴史を考える上で貴重なものです。
現在は白旗塚史跡公園として整備されています。