歩・探・見・感

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旧町名 東京府北多摩郡三鷹町下連雀

先日は「上連雀」の電力プレートを紹介したが、今回は「下連雀」の表札である。

 

三鷹下連雀百二十九番地

発見日  2021年11月8日 

発見場所 東京都三鷹市下連雀

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東京府北多摩郡が省略されているようだ。

 

②府下北多摩郡三鷹下連雀二六六

発見日  2021年11月13日

発見場所 東京都三鷹市下連雀

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「府下」とは?
すぐ「東京府」の略だと思ったが、表札ではこのように略されているのは、初めて見た。
「府内」という言葉もあるが、「府下」とは違うのか?
調べてみた所、
「府内」:府の区域または管轄内のこと。
「府下」:府の行政の下にある地域。 また、府の中心地を除いた周辺の地域。
とのことであるが、あまり違いが判らない。
もう少し詳しく調べてみたいが、別の機会にしよう。

歴史
1590年頃
牟礼村・大沢村・上仙川村が成立。

1657年(明暦3年)1月
明暦の大火による神田連雀町(現在の千代田区神田須田町神田淡路町付近)の被災者の替え地として、1658年(万治元年)に神田連雀新田(現在の下連雀)が開発された。

1690年頃
上連雀村・下連雀村・野崎村・野川村・北野村が成立。

1725年頃
井口新田・深大寺新田・野崎新田・大沢新田が成立。

1889年(明治22年
町村制の施行で、上連雀下連雀・井口新田・深大寺新田・大沢・野崎・新川・中仙川・北野・牟礼の10カ村が合併し、神奈川県北多摩郡三鷹村となる。

1893年明治26年
三鷹村が東京府へ移管される。

1940年(昭和15年
町制施行により北多摩郡三鷹町となる。

1950年(昭和25年)11月3日
市制施行により三鷹市となる。

 

以下は三鷹市下連雀の話題から離れるが、旧連雀町、現神田須田町についての記述となる。

下連雀の元となっている東京都千代田区連雀町の町名由来版には次のような記載があった。

「明治四十五年(1912年)、甲武(こうぶ)鉄道(のちの中央線)万世橋(まんせいばし)駅が、現在の交通博物館の地(江戸時代の八ツ小路)に開業します。駅前広場には明治の軍人広瀬中佐(ひろせちゅうさ)の銅像がそびえ、多くの市電の発着地として、東京でも屈指の交通の要衝(ようしょう)として栄えました。また、寄席(よせ)の白梅亭をはじめ、旭楼など二十軒もの旅館が立ち並び、樋口一葉(ひぐちいちよう)がその著「別れ霜(じも)」において、「神田連雀町とかや、友囀り(ともさえずり)の喧しき(かしましき)ならで客足しげき……」と、その賑わい(にぎわい)を記しています。
大正十二年(1923年)の関東大震災後、区画整理がなされ、連雀町、佐柄木町は、須田町一丁目と淡路町に改称されました。」

交通博物館は2006年に閉館し、2007年鉄道博物館が埼玉県さいたま市大宮区に開館。

 

現在は神田須田町だが、神田まつやの裏手、神田藪蕎麦や、神田郵便局などのある界隈は、かつて連雀町といわれた一帯で、奇跡的に第二次世界大戦の東京空襲で焼け残り、「神田まつや」、「神田藪蕎麦」、「いせ源」、「竹むら」などの往時を偲ぶ名店が並んでいる。
神田まつや:明治17年創業  大正14年築 東京都選定歴史的建造物
神田藪蕎麦:明治13年創業
いせ源  :天保元年年創業 昭和5年築 東京都選定歴史的建造物
竹むら  :昭和05年創業  昭和5年築 東京都選定歴史的建造物
ぼたん  :明治30年創業  昭和4年築 東京都選定歴史的建造物
松榮亭  :明治40年創業