歩・探・見・感

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旧町名 東京都北多摩郡国分寺町恋ヶ窪

以前「国分寺市恋ヶ窪西ノ台」を紹介したが、今回は小字名が付いていないが、「国分寺町」時代のものを紹介することにしよう。

 

①東京都北多摩郡国分寺町恋ヶ窪三五六

発見日  2022年7月11日

発見場所 東京都国分寺市東恋ヶ窪三丁目

 

次は国分寺市になってからのものだが、「東恋ヶ窪」になる前のもの。

 

国分寺市恋ヶ窪四六九番地

発見日  2022年7月12日

発見場所 東京都国分寺市東恋ヶ窪四丁目

 

歴史

1889年
国分寺村、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の10村および府中宿、本宿村の一部が合併し神奈川県北多摩郡国分寺村が誕生(町村制の施行)。

1893年
三多摩東京府移管により東京府北多摩郡国分寺村となる。

1940年
国分寺村が町制施行し、東京府北多摩郡国分寺町となる。

1943年
東京都制施行により東京都北多摩郡国分寺町となる。

1964年11月3日
国分寺町が市制施行し、東京都で14番目の市として国分寺市が誕生する。

1967年9月1日
町名地番整理により東恋ヶ窪一から五丁目になる。

 


恋ヶ窪の地名の由来

東京都国分寺市東・西恋ケ窪。鯉ケ窪とも書く。中世初期に鎌倉街道の宿駅があり、遊妓等もいたことにより起こった地名といい、畠山重忠に寵愛された夙妻大夫なる遊女が、重忠戦死という偽言に迷い、悲しみの余り自ら命を絶ったという伝説が残る。地名の由来については、その他、武蔵国国府の所在地府中に近い窪地であることによるとか、湧水に恵まれた窪地であるため、鯉を養って旅人に供したことによるといった説がある。

角川日本地名大辞典

夙妻大夫はアサヅマダユウと読む。

 

①「窪」は「窪地」のことで、もともとは「鯉ヶ窪」と書いた。湧水に恵まれた窪地に鯉を飼って、旅人に供していた。それが「恋ヶ窪」となった。
②もとは、「国府ヶ窪」で、国府付近の窪地だったことに由来する。
③賑やかな宿駅があり、遊女がいたことから「恋ヶ窪」となったといい、鎌倉時代の地名伝説(鎌倉武将と遊女の悲恋物語)がある。
④一般的には、街道が丘陵の間を通っていたので「峡(かい)ヶ窪」といい、「カイ」が「コイ」となって「恋」の字を当てた。
【お江戸の地名の意外な由来 中江克己 PHP研究所】