本陣跡の向かい側に背の高い道標が鉄枠で保護された状態で建っていた。
これを道路元標と言う方もいるが、明治時代に設置されたもので、正式には里程標(りてひょう)と言うらしい。
里程標について調べてみると、下記のことが分かった。
明治時代初期から大正期にかけて設置された里程元標(りていげんぴょう)というものが存在する。
これは基本的に江戸時代の街道を踏襲した距離標であり、県庁所在地には県の里程元標、各市町村には里程標が置かれた。高さが3m近い大きな標石であり、距離を示す単位は里(約4Km)、町・丁(約109m)、間(約1.8m)、尺(約0.3m)だった。
里程元標は大正8年(1919)に道路法が公布されたことにより、廃止・撤去された。
里程元標や里程標にとって代わったのが道路元標である。
発見日 2021年11月30日
発見場所 埼玉県草加市住吉1丁目
正面
千住町へ弐里拾七町五拾三間三尺(2里17町53間3尺)
越ヶ谷町へ壹里三拾三町三拾間三尺(1里33町30間3尺)
千住町へ、越ヶ谷町へとも三が並んでいる。語呂の良いこの場所を選んだのだろうか?
ちなみに日光街道は、日本橋を起点とし、1番目が千住宿、2番目がこの草加宿、3番目が越ヶ谷宿である。
尺貫法(しゃっかんほう)で記載されているので、単位を調べてみた。
以下の換算数値は、旧計量法施行法(昭和26年法律第208号)第4条、第5条に基づいている。
1里=36町 ≒ 3927.2723927 m
1町=60間=360尺 ≒ 109.090109 m
1間 (歩)= 6尺 ≒ 1.818182 m
1丈=10尺 ≒ 3.030303 m
1尺=10寸=10/33m ≒ 0.3030303 m
この里程標の事をブログ等で紹介している方はいるが、調べた限り、さすがに距離を計算した方はいないようだ。
実際の距離は千住宿から草加宿までは約9.5km、草加宿から越ヶ谷宿までは約7.2kmだったらしい。
そこで、この里程標に記載されている距離をExcelで計算してみた。計算違いもあるかもしれないので、その点はご容赦。
千住町からこの里程標まで 約9,806.3m
この里程標から越ヶ谷町まで 約7,582.7m
となった。
右側
距谷塚村管轄境貮拾四町貮間三尺(24町2間3尺)
計算してみると谷塚村までは約2,622.7mだった。
左側
ビールケースの棚が邪魔でよく見えない。が、ネットで調べたところ、下記が記載されているようだ。
距浦和町元標四里貮拾町拾三間三尺(4里20町13間3尺)
距栗橋町管轄境拾里拾三間五尺(10里13間5尺)
この里程標から浦和町まで 17,915.4m
この里程標から日光街道7番目の宿である栗橋町までは40,692.4m
栗橋町(現埼玉県栗橋市)までは、日光街道を下ればいいのだが、浦和町(現埼玉県さいたま市浦和区)までは、どのような道をたどるとこのような距離になるのか気になるところである。
高低測量几号には石碑が建てられていたが、この里程標も石碑があってもいい貴重なものだと思う。ただでさえ、他の旧日光街道の宿で中でも古い建物が少なくなっている草加市よ、これ以上なくさないでほしい
草加市の文化財担当の方、本当に前向きに検討してほしい。
更に言うと、これはあくまでも個人的な意見で、こんなことを言うと怒られてしまうかもしれないが、この右側にあるビールケースの棚を撤去していただけるとありがたい。
見ただけではわからないが、ここは私有地なのだろうか?