歩・探・見・感

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道路元標 幸手町

幸手市役所の敷地内、入口付近のフェンス脇に設置されていた。

発見日  2021年12月6日

発見場所 埼玉県幸手市東4丁目

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幸手町道路元標

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25cm角、地上高61cm。

 

道路元標の案内板

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案内板をテキスト化してくれている方のブログ等や「Monumento(モニュメント)」という案内板データベースからテキストを拝借させていただいたりするのだが、これはテキスト化されているものが見つからなかった。
なので自分でテキスト化することにした。

 

 この道路元標は、中三丁目の県道久喜・幸手線と岩槻・幸手線の角にあったもので、幸手・岩槻線工事のとき、この場所に移転されました。
 道路元標とは、市町村の道路の起原となるもので、幸手から何キロ、また、幸手まで何キロ、と距離を測定したものです。 
 この元標は、いつごろ建てられたかわかりませんが、大正八年(一九一九)に法律の定めにより、各市町村に一ヶ所ずつ建てられることになった、という記録が残っています。

 

細かいことだが、この案内板に記載されている「岩槻・幸手線」と「幸手・岩槻線」順序が違うが、同じ道路だよね。
道路名を調べたところ「岩槻・幸手線」は廃止されていて、現在は「埼玉県道65号さいたま幸手線」となっている。
元々は岩槻市(現・さいたま市岩槻区)から幸手市までの区間の路線で埼玉県道65号岩槻幸手線(主要地方道)という名称であったが、2005年(平成17年)4月に岩槻市さいたま市編入合併されたことを機に、路線名の市名が同じとなる埼玉県道64号さいたま岩槻線(主要地方道)を吸収する形で、さいたま市浦和区から同市岩槻区までの区間が延伸された。
道路名も調べてみると、歴史があるのだなと感じる。