何回も訪問したことがある杉並区なので、昨日訪問した今回の投稿が初杉並区になるとは、自分でも少し驚いている。
訪問したところ、植木職人2名が作業中だったので、写真を撮ることができなかった。そこで、先に他の旧町名の探索に向かい、小一時間ほどして戻ってくると、作業が終了していたので、ようやく撮ることができた。
発見日 2021年12月18日
発見場所 東京都杉並区井草2丁目
立派な大理石の門柱の少し上の方に設置されていた。
「八成」は「はちなり」と読む。
歴史
明治22年(1889年)
市制・町村制が施行され、東京市(15区からなる)が成立、井荻村(のち井荻町)大字下井草の小字となる。
昭和7年(1932年)10月1日
東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。この時、杉並町、和田堀町、井荻町、高井戸町の区域をもって杉並区が新設され、八成町に引き継がれた。
昭和18年(1943年)7月1日
東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。
昭和38年(1963年)
住居表示が実施され、井草2丁目が成立し、八成町は消滅した。
地名の由来
八成は「新編武蔵風土記稿」に「東の方上鷺ノ宮の界を云」と書かれた下井草村の小名だが、地名由来に関しては「杉並風土記」(昭和52年 森泰樹)に、千川上水の八成橋とかかわる伝承が収録されている。観泉寺の住職が経典から八成(はっせい)橋と命名、住民は「はちなり」と読み、いつしか地名になった。
「八成橋」は今もバス停や八成橋交差点などの名前として残っている。
杉並区教育委員会が昭和53年に発行した「文化財シリーズ19 杉並の地名」には以下のような記載があり、地名由来については伝えられていないとある。
記載当時は上記に書いたような由来は分からなかったのだろうか?
「区の北端にあって、練馬区に接している。昭和7年6月・8月の両度町界、町名を変更し、旧大字下井草の一部をもって井荻町大字八成となり、区制施行によって八成町となった。
江戸時代は付近の村々と同じように今川氏の所領地域である。当時は下井草村の小名八成(石造物に鉢成講中など書かれている)であったが、地名由来については伝えられていない。千川用水を上井草村から分水して水田の灌漑に利用したというから、この地域も戦前までは田畑の開けた農村地帯であった。
杉並区立八成小学校
1955年(昭和30年)4月1日
水路の先端にあたる農地であった杉並区八成町133番地(現杉並区井草2-25-4)を造成して開校。
1955年(昭和30年)4月19日
新築校舎(9教室)に移転、この日を開校記念日とする。
杉並区立八成公園
所在地:杉並区井草2丁目27番8号
開園年月日:昭和45年6月1日
面積:595.04㎡
中野区にも八成公園がある。
所在地:中野区上鷺宮5丁目19番
面積:3,030㎡
1975/4/15中野区報によると、八成公園の名前の由来は、この付近は、通称八成山と呼ばれていたので、公園の名称もそこから付けられたようだ。
八成区民集会所
所在地:杉並区井草1丁目3番2号