歩・探・見・感

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旧町名 たばこ販売店 東京都杉並区宿町

旧町名のたばこ販売店琺瑯看板

発見日  2021年12月18日

発見場所 東京都杉並区桃井4丁目

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「宿」は「やど」ではなく「しゅく」と読む。

 

「宿町集会所」の階段脇に佇む御嶽神社に町名由来碑がある。

宿町町名の由来

一、江戸時代の地名。

  上井草村宿。一名遅野井村とも呼ばれていた。

一、明治二十二年五月町村制施行。上、下井草村、上

  下荻窪村の四村合併により、井荻村となる。

  豊多摩郡井荻村大字上井草字宿、原、寺分。

  (宿、原、寺分とは旧宿町、井荻一、二、三丁目の地域)

一、大正十五年七月一日行政区画土地の名称変更に

  より、東京市杉並区上井草町となる。

  当地は旧字名で「宿」と呼ばれていた。

一、昭和八年七月二十九日町区域並町名変更によ

  り、東京市杉並区宿町となる。

一、昭和三十七年住居表示法が施行され、桃井、上

  荻、西荻北、善福寺と宿町の区域が分断され、宿

  町の町名は消えた。

ここに、歴史的地名を憶い、宿町町会呼称の

由縁と、宿町の由来を刻して永く後世に伝

えるものである。

 昭和五十九年十一月吉日

 宿町町会

 

「遅野井」と呼ばれていたとあるが、これは、文治5年8月(1189年)に源頼朝が28万騎の大軍を率いて、奥州藤原氏討伐の途中、この地に宿陣し、飲み水を掘ったが、水の出が遅く、「遅いのう」と言ったので遅野井と呼ばれようになったそうだ。

 

宿(後の宿町)の地名について、某古老が、「大昔は、寺分と宿はひとつの付合いで,寺分宿と呼ばれた。それは、このあたりは善福寺、万福寺、東福寺の領分で、お寺の宿坊があったので、寺分宿と呼ばれた。後に青梅街道ができたので、寺分と宿の二つにわかれた。」と語っていたそうだ。

 

宿町町会の掲示

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桃井原っぱ公園

一番下に記載されている協力者が宿町町会になっている。

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桃井原っぱ公園の紅葉

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桃井原っぱ公園の太陽と雲

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木のところにある白い点は太陽のゴーストだ。

 

現在放送中の朝ドラ「カムカムエブリバディ」に縦型の「たばこ小賣所」の看板が店舗に設置されていたのに気づいた方はいるだろうか?
涙なしでは見られない回が多く、AIの主題歌「アルデバラン」を聞くだけで切なくなる。「アルデバラン」はアラビア語で“後に続くもの”という意味を持つらしい。

あっ、違う、ドラマと歌の話ではない。

縦型の「たばこ小賣所」の看板の話だ。
戦前のものなので、「煙草」と漢字だと思ったが、「たばこ」とひらがなだった。
書体も戦前ぽくなかったなあ。
琺瑯製のものとは見えず、材質は何だったのだろう?
ドラマの小道具の一つだが、とても気になってしまい、「たばこ小賣所」の看板が写されているときは、ドラマの内容より、「たばこ小賣所」の看板が気になってしまい、ドラマに集中できなかった。

 

たばこと塩の博物館」に「たばこ小賣所」と「塩小賣所」の看板について問い合わせしてみた。
お忙しい中、当日中に回答いただき、資料まで添付していただき感謝している。

「看板」(平成13年、たばこと塩の博物館)という収蔵品目録に記載されている部分のコピーと次の回答をいただいた。

「看板は、基本的には、専売局および専売公社からの指示事項、注意事項という形で
通達されたものに基づいて設置されておりました。
(専売化においては、専売局や専売公社から主に小売人組合を通じて、販売所作りの指
導がありました)
ただこれらは、あくまで専売制度下のものですので現在はそうしたルールはなく、いまの残っている看板類は、小売人の方々の意志で残されているものだと思います。」

と自分が望む「煙草小賣所」「たばこ販売所」「たばこ小売店」の看板の詳細な歴史はわからなかった。
まだまだ調査が必要なようだ。
とは言ってはみたものの、一番詳しいところ(たばこと塩の博物館)に聞いたので、ここで打ち止めか?