歩・探・見・感

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杉並区立郷土博物館で発見した旧町名

最近、自治体の郷土資料館によく行くようになった。
最大の目的は旧町名探しだ。
展示物を皿の目のようにして、プレート類を探す。

で、発見できたのが以下の通りである。

 

発見日  2022年4月30日

発見場所 東京都杉並区大宮1丁目20-8

 

東京市王子區豊島町

氷冷蔵庫に設置されていた。

東京都北区豊島は北区の中だけでなく、東京都と埼玉県、神奈川県川崎市横浜市の大部分を含む旧武蔵国の中でも最も古い地名だと言われている。

その古さから、地名の由来は不明だが、741年(聖武天皇の頃)には既に豊島の名があったということが確認できる文献があるそうだ。

歴史

1871年明治4年)11月14日
浦和県(現埼玉県)から東京府編入された。

1889年(明治22年
町村制施行時点では北豊島郡王子村大字豊島であった

1908年(明治41年)8月8日
王子村は町制施行し王子町になる。

王子町は1932年(昭和7年)10月1日
東京市編入され王子区へ移行し、大字豊島は豊島町となる。

1939年(昭和14年
豊島町全域に堀船一丁目の一部を加えて豊島一~八丁目となった。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都王子区豊島となる。

1947年(昭和22年)3月15日
王子区滝野川区と合併し北区が成立する。

1966年(昭和41年)
住居表示により豊島一〜八丁目全域と王子二・三丁目の一部を合わせて現在の豊島一~八丁目になって現在に至る。

 

東京市板橋區江古田町

農業用噴霧器に設置されていた。

歴史

1932年(昭和7年
板橋区成立時に江古田町となる。

1947年(昭和22年)
板橋区から分区して練馬区が成立した時に、小竹町と共に練馬区へ移管された。

1960年(昭和35年
小竹町の一部を編入して地番整理を行った際に住民投票が行われ、町内にある旭ヶ丘小学校(旧・上板橋第三小学校)から「旭丘」と名づけられた。

1987年(昭和62年)
栄町の一部を編入して住居表示を実施し、現行の旭丘一丁目から二丁目となった。

 

元をたどると中野区の江古田(えごた)からくるらしい。
調べると面白いが、別な機会としよう。

 

③神奈川県橘樹郡生田村

稲扱機に設置されていた。

橘樹郡」は「たちばなぐん」と読むそうだ。
読めない。
「たちばな」の後に何か続くのかと思っていた。

 

歴史

1875年(明治8年
上菅生村、五段田村が合併して(旧)生田村が成立。

1889年(明治22年)4月1日
町村制の施行により、(旧)生田村、金程村、高石村、細山村が合併して生田村が成立。

1938年(昭和13年)10月1日
川崎市編入。同日生田村廃止。

1972年(昭和47年)4月1日
川崎市政令指定都市に指定され、旧村域が多摩区になる。

1982年(昭和57年)7月1日
川崎市多摩区から麻生区を分区。金程、高石、細山の全域と、生田の一部(分区と同時に東百合丘を起立)が麻生区となる。

 

④愛知縣豊川町

農機具に設置されていた。

何の器具か説明書きはなかった。

日本一、ユタカ式〇〇という文字が見える。

包丁の大きいものが付いているから、何かを切るものだろうか?

「ユタカ式」で調べてみたが、同じものはなく、わら仕事用具で「マブシアミキ」というのがヒットしたが、これだろうか?

「マブシアミキ」は養蚕具のマブシ(人工藁)を作る道具で上部に藁を広げて挟み、ハンドルを交互に操作して、藁を折り曲げるものだそうだが、わからない。

 

歴史

1889年(明治22年)10月1日
豊川村、馬場村、樽井村、三蔵子村、長草村、六角村、大崎村、本野村、北金屋村、古宿村が合併し、豊川村となる。

1893年明治26年)3月13日
豊川村が町制施行し、豊川町となる。

1906年明治39年)7月1日
豊川町、麻生田村、睦美村の大部分が合併し、豊川町となる。

1943年(昭和18年)6月1日
豊川町、牛久保町八幡村国府町が合併し、豊川市となる。

 

⑤毛羽取り機に設置されている看板。

これには町名は見つからなかった。

 

農機具に設置されている看板を探すのが楽しくなってきた今日この頃である。