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旧町名 琺瑯町名看板&町会会員プレート 台東区竜泉寺町

今回は台東区竜泉に残る旧町名「竜泉寺町」に関するものを紹介しよう。

 

発見日  2020年7月18日

発見場所 東京都台東区竜泉2丁目

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今まで何回か前を通ったことがあるが、いつも上の写真のように材木が置かれており、全体を見ることができなかった。

 

しかし、この日は、材木が置かれておらず、初めて全体を見ることができた。

撮影日 2022年1月22日

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ある方のブログで、この材木店のご主人に遭遇し、不審者と間違えられたが、理由を説明したところ、ご主人が材木をどかしてくれて、写真を撮らせてくれたという記事を見かけた。
そのご主人は、わざと隠していたと語っていたそうだ。

今回はそのような苦労がなかった。
運がいい!

この日も左側には材木が置かれており、何かの理由で材木を移動させたのだろうか、ようやく拝むことができた、感動!

「りゅう」は「龍」か「竜」のどちらだと思ったら、「竜」だった。

 

それでは、この琺瑯町名看板について考察してみよう。
自分がユニークだと思った点は以下である。

①旧町名の町名である。

②ローマ字が書かれている。

③施工責任の電話番号が書かれている。

④広告主の文字がグリーンになっている。

⑤広告主の住所(金杉下町)も旧町名になっている。

 

広告主の和敬堂は昭和通り沿いに現存しているようだ。
プリンス自動車は1947年に創立、1966年に日産自動車と合併するまで存在していた、日本の自動車メーカー。
現在は日産三ノ輪店になっている。

 

台東区龍泉寺

発見日  2020年7月18日

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発見日  2021年3月13日

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発見日  2021年4月5日

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寺以降が消されているが、寺の文字ははっきりと分かる。
表札が右側が割れてしまっている。

 

町会会員プレート「竜泉中部町會々員」

発見日  2022年1月23日

発見場所 東京都台東区竜泉3丁目

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このような町会会員プレートに住所が併記されているのは初めてかもしれない。

 

右 明るくすみよい竜北町会

左 竜泉三丁目中部町会々員

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歴史

慶応4年5月12日(1868年7月1日)
前身の下谷龍泉寺町として、江戸府に所属。

慶応4年7月17日(1868年9月3日)
東京府に所属。

1869(明治2)年
下谷龍泉町」と改称し消滅。

1878(明治11)年11月2日
後身の下谷龍泉町は東京府北豊島郡に所属。

1889(明治22)年5月1日
下谷龍泉町の全域、龍泉寺村の一部、千束村の一部及び三ノ輪村飛地東京府東京市下谷区編入となる。

1891(明治24)年
これらを1町として下谷龍泉寺町が再び誕生。

1937(昭和12)年
西の一部は金杉二丁目に編入となる。

1943(昭和18)年7月1日
東京都下谷区に所属。同年、一部は浅草区編入となり、浅草区日本堤三丁目、浅草区龍泉寺町となる。

1947(昭和22)年3月15日
東京都台東区に所属。下谷区龍泉寺町、浅草区龍泉寺町ともに台東区に所属となり、台東区龍泉寺町となる。

1965(昭和40)年8月1日
住居表示の実施により、入谷二丁目、竜泉一・二丁目、千束二・三丁目になる。

1966(昭和41)年10月1日
住居表示の実施により、竜泉三丁目に編入となり消滅。

 

町名の由来
龍泉寺領であったため。

 

龍泉寺

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下谷區史」より

京都智積院末、東光山等印院と號す。本尊大日如来。(大正十二年九月焼失)その起立は詳かでないが、中興の法印深盛は天正十九年二月八日に寂したといへば相應の古寺である。町名(もと村名)もこの寺名によつて起り、古くは當寺の寺領であつたが、家康の關東入國以後幕府の領地となり、正保以後東叡山領となつた。維新前は千束稲荷社は當寺の持であつた。