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下町風俗資料館付設展示場(旧吉田屋酒店)で発見した旧町名

先日、下町風俗資料館付設展示場(旧吉田屋酒店)で発見した琺瑯看板を紹介した。

citywalk2020.hatenablog.com

 

今回は旧町名を紹介しよう。

琺瑯看板を紹介している方はたくさんいるだろうけど、展示されているものの中からほとんどの方が関心を寄せないと思われる旧町名に気が付いて、それを紹介するのは当ブログくらいではないか?

知らんけど。

 

訪問日  2023年1月7日

訪問場所 東京都台東区上野桜木二丁目10番6号

 

東京市下谷区谷中茶屋町三番地

旧町名由来案内「旧 谷中茶屋町」より

明治二年、天王寺表門前新茶屋町が改められ、谷中茶屋町が誕生した。
天王寺は、応永の頃(1394~1427)に草創され、日蓮宗長陽耀山感応寺と号していたが、元禄十二年(1699)、幕府の命令により天台宗に改められた。そのため檀家が離れて寺の運営はおもわしくなくなり、同十五年、住職の仏頂院は経営立て直しのため茶屋町を造るべく、寺社奉行に町屋の開設を願い出た。翌十六年に許可され、感応寺表門新茶屋町ができた。その後、天保十四年(1843)に、感応寺が天王寺に改称したことから、町名も天王寺表門前新茶屋町に改められた。
明治以降、茶屋町という華やかな街から、次第に住宅街へとかわってきた。

 

歴史

1878年明治11年)11月2日
東京府下谷区に所属。

1889年(明治22年)5月1日
東京府東京市下谷区に所属。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都下谷区に所属。

1947年(昭和22年)3月15日
東京都台東区に所属。

1967年(昭和42年)1月1日
住居表示の実施により、西隅が谷中六丁目4番、残りの町域が現行の谷中六・七丁目に編入となり消滅。

 

②武陽入間郡霞ヶ関

武陽は武州、埼玉県のことだろうか?

入間郡霞ヶ関は現在の川越市霞ヶ関のことだろう。

でも、なぜ銘柄が「琵琶湖」なのたろうか?

調べてみたが、川越市霞ヶ関に小林本店という醸造元は見つからず、「琵琶湖」という日本酒を製造していた醸造元も見つからなかった。

調べ方を変えてみよう。

登録商標を調べてみたところ、お酒(第33類)に「琵琶湖」の商標が登録されているようだ。この登録商標は、大正8年(1919年)8月13日に登録され、21世紀になった今も商標権として存在しているらしい。

ヤフーオークションで「琵琶湖」の白い空き瓶が3,000円で売られていた。この看板に描かれているものと同じものだった。しかし、長島屋支店と書かれており、小林本店ではない。

歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、的場村、笠幡村、安比奈新田の3か村が合併、高麗郡霞ヶ関村が成立。

1896年(明治29年)4月1日
高麗郡入間郡編入入間郡霞ヶ関村となる。

1952年(昭和27年)
鶴ヶ島村(現・鶴ヶ島市)大字大田ヶ谷の一部を編入。同時に霞ヶ関村大字笠幡の一部を鶴ヶ島村に編入

1955年(昭和30年)4月1日
川越市編入

 

③摂津灘御影町

 泉仙介は兵庫県神戸市東灘区に本社を置く日本酒メーカー泉酒造の創業者のようだ。

 

歴史

1889年(明治22年
町村制公布にともない、菟原郡に属する御影村・郡家村・石屋村・東明村の4か村(および高羽村飛び地)が合併して御影町となった。

1950年(昭和25年)4月1日
御影町は全域が神戸市に編入され、東灘区の一部となった。