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ナンバーくん住所プレート&琺瑯住所プレート 東京都練馬区小竹町

久しぶりに練馬区でナンバーくん住所プレートを見つけたと思ったら、以前見つけたものだった。

①ナンバーくん住所プレート

発見日  2020年8月29日

発見場所 東京都練馬区小竹町1丁目

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錆錆だが、数少ないナンバーくん住所プレートである。
お披露目しておかないとかわいそうだ。
このように無残な姿になってしまっていても積極的に公開しているのは当ブログくらいではないか。

 

琺瑯住所プレート

発見日  2022年2月26日

発見場所 東京都練馬区小竹町2丁目

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ごく最近のことだが、練馬区板橋区の区界のこの辺りを探索していた。
見覚えがある景色があった。
その時この道を歩いたはずだが、これには気が付かなかった。
いや、まさか気が付かないはずはないから、近くを歩いたが、この道は歩かなかったということにしておこう。

 

練馬の地名 今むかし(小竹町)

江戸時代、上板橋村のうち小竹村といった。江戸中期の庚申塔(小竹町1-15)に「上板橋小竹村」とある。会津23万石保科正之は二代将軍秀忠の庶子であり、その生母お静の方は武州板橋在、竹村の大工の娘といわれている。板橋の近くに竹村という村はなく、それはこの小竹村だとする説が昔からある。練馬で脚気の養生をした五代将軍綱吉の生母桂昌院は、京都の町娘であったというのだから、小竹村の娘が将軍の寵愛をうけても不思議はない。 
昭和7年東京市域拡張による35区制で板橋区が誕生、小竹町となった。同22年練馬区成立のとき、以前から江古田町(現旭丘)とともに練馬支所管内であった関係で、練馬区編入された。35年地番整理で、1・2丁目に分かれた。 
昭和58年6月24日、区立小竹小学校の下に営団地下鉄有楽町線の「小竹向原」駅ができ、小竹の名は一躍有名になった。この駅はまた西武有楽町線の分岐駅でもある。 

ねりま区報 昭和59年8月11日号 掲載

 

こたけねっと
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交通環境
昭和58年に開通した東京メトロ小竹向原駅」は、都心にも郊外へもアクセス便利な駅。
副都心線有楽町線、西武有楽町の3線が利用でき、東部東上線にも乗り入れいています。

町会のホームページのようだ。
いくつか誤記があるのに気が付いた。
東部東上線     →東武東上線
乗り入れいています。→乗り入れています。

 

小竹向原駅」は謎の分岐駅と呼ばれているそうだ。
地下鉄有楽町線副都心線東武東上線西武池袋線という4方向の路線がある。
慣れていない人だったら、新木場に行く予定だったのに渋谷。もしくは、郊外方面の電車に乗って練馬に行こうと思ったら、寝過ごして森林公園なんてこともあり得る。

小竹向原駅から地上に出ると、東に向原トンネルとその上の向原小学校、西に小竹トンネルとその上の小竹小学校が互いに向き合っている姿を見ることができる。
これは区界にあるからだが、知らない人が見たらなぜと思うだろう。

小竹向原駅に関する話題。