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旧町名 琺瑯住所プレート&手書き住所プレート 木挽町

銀座東の前の旧町名木挽町のものは紹介していなかったので、新しく発見したものと合わせてまとめて紹介しよう。

 

琺瑯住所プレート 京橋區木挽町二丁目一五番地

発見日  2019年10月28日

発見場所 東京都中央区銀座2丁目

 

銀座二丁目にある「中華そば 萬福」の店内には昭和4年築の旧店舗に設置されていた「京橋區木挽町二丁目五番地二」の琺瑯プレートが保存されているそうだ。

機会があったら訪問してみよう。

 

②手書き住所プレート 京橋区木挽町三丁目一番地

発見日  2022年4月17日 

発見場所 東京都中央区銀座3丁目

 

ここにも「木挽町」が書かれている。

もともとは氷屋(氷や炭を売る店)だったのを昭和40年代以降改装し、居酒屋として運営している。

「蔵」の字、何か抜けているが、これでいいのか?

 

同じ通りに「木挽町通り」と「木挽町仲通り」があった。

この通りはダブルネームなのか?

 

歴史

1878年明治11年)11月2日
東京府京橋区に所属。

1889年(明治22年)5月1日
東京府東京市京橋区に所属。

1931年(昭和6年)~1932年(昭和7年
帝都復興計画の一環により、采女町、南水谷町(前身は京橋水谷町)、金六町と新富町1丁目、南八丁堀の一部を合併し、1~8丁目に再編成。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都京橋区に所属。

1947年(昭和22年)3月15日
東京都中央区に所属。

1951年(昭和26年)
「銀座東1~8丁目」と改称して消滅。現行の銀座1~8丁目のうち。

1968年(昭和43年)10月1日
住居表示実施により、銀座西一丁目と銀座一丁目を統合し、これを改めて銀座一丁目(銀座二丁目から銀座八丁目も同様)として銀座西が消滅(ただし東京高速道路下にある店舗などは未だに何区に帰属するか確定していないため、暫定的に「中央区銀座西◎丁目地先」と名乗っている)。

1969年(昭和44年)4月1日
住居表示実施済みの銀座一丁目に未実施の銀座東一丁目を編入し、これを改めて銀座一丁目(銀座二丁目から銀座八丁目も同様)として銀座東が消滅。

 

地名の由来

「木引町」、「木曳町」とも書いた。江戸城修築の時に木挽職人が多く居住したことに由来する。