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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

難波田城資料館で発見した旧町名

存在していた場所と違う場所で発見した旧町名も積極的に紹介している当ブログ。
旧町名マニアからしたら邪道かもしれないし、異論があるかもしれない。

さすがに神社仏閣で発見した江戸時代以前のものを紹介するようなことはないつもりだ。
つもりだということは、紹介する可能性もあるという意味か?

とにかく自分が興味がわいたものは紹介していこうというのが自分のスタンスである。

 

今回は埼玉県富士見市にある難波田城資料館で発見した旧町名を紹介しよう。
波田城資料館で発見した自分としてのメインのものは別な記事で紹介する予定なので、これはサブ的なものである。

 

発見日  2022年4月21日

発見場所 埼玉県富士見市大字下南畑568-1

 

資料館の外に「水谷消防署 第三部」と書かれた手動式消防ポンプ車と金庫があった。

このポンプ車については特に説明書きはなかった。

これらにロックオンした。
そうしたら

ポンプ車の正面のプレートに東京市本所區東両國発見!

東京岡崎屋唧筒製作所
両國駅前


「唧筒」は「ポンプ」の意味らしい。

 

歴史

1878年明治11年)11月2日
郡区町村編制法により、本所区を設置。

1889年(明治22年)5月1日
市制、町村制の施行に伴う東京市の設置。

1929年(昭和4年
東両国の町名が成立した。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都制が施行され、東京市東京府が廃止され、東京都を設置。

1947年(昭和22年)3月15日
向島区と合併して墨田区を新設。

1967年(昭和42年)
住居表示の実施により、東両国から両国へ改称された。

 

ということなので、戦前に製作されたポンプ車だと思われる。

東京岡崎屋唧筒製作所は現存していないようだ、

 

志木町代理店
桑久保唧筒製作所

歴史
1878年明治11年)7月22日
郡区町村編制法制定に伴い、新座郡志木宿となる。

1889年(明治22年)4月1日
町村制が施行され、志木宿が改められ新座郡志木町となる。

1896年(明治29年) 3月29日
新座郡北足立郡と合併し、志木町の所属が北足立郡となる。

1944年(昭和19年)2月11日
北足立郡志木町および内間木村、入間郡宗岡村および水谷村が合併し、北足立郡志紀町が発足する。

1948年(昭和23年)4月1日
志紀町が分離し、合併前の志木町、宗岡村、水谷村、内間木村となる(いずれも北足立郡)。

1955年(昭和30年)5月3日
志木町と宗岡村が合併し、足立町が発足する。

1970年(昭和45年)10月26日
市制施行に伴い名称変更、志木市となる。

 

歴史を見ると志木町は2回現れているが、このポンプ車が製作されたのは戦前なので、戦前の志木町の可能性がある。

 

旧南畑村役場金庫

ボロボロだ。
今でも解錠できるのだろうか?

戦前から使われていた金庫のようだが、旧町名の痕跡は見つからなかった。

東京には「平野金庫店」は現存していなかった。

 

商標には天使が刻印されていた。




入間郡鶴瀬村大字鶴間

横田回漕店の看板

横田回漕店は現存していないようだ。

 

歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、鶴馬村・勝瀬村が合併し、入間郡鶴瀬村が成立する。旧村は鶴瀬村の大字となる。村名は、鶴馬と勝瀬の名を合成したことによる。

1956年(昭和31年)9月30日
入間郡南畑村・北足立郡水谷村と合併し、入間郡富士見村となる。鶴瀬村消滅。大字は富士見村に継承された。

1964年(昭和39年)4月1日
町制施行、富士見町(ふじみまち)に。

1972年(昭和47年)4月10日
市制を施行し、富士見市(ふじみし)に。

 

このように資料館で旧町名が見つかることがある。
訪問する方の目的は展示物にあるので、たぶん誰もどこかに記載されているかもしれない旧町名にまでは気にしないだろう。

今後も資料館に立ち寄ったら、本来の訪問目的と異なるが、旧町名探索に没頭することだろう。