ちょうど1年前に発見したものなので、発見記念1周年の今日に投稿しよう。
これを発見した当時は、まだブログを開設しておらず、ただの写真のストックになっていた。
「埼玉○○○○○○探す」さんが2016年11月の記事で「多分もう見つかることはないと思うが、もし見かけたという方がいたら是非ご連絡を!」と言われていたので、連絡しようと思った。
しかし、以前「旧○○○○○○会」さんが探している旧町名を発見したことがあるので、コメントしたことがあるのだが、何らかの理由で返事をもらうことができなかった。
それ以降、コメント記入恐怖症になってしまった。
この旧町名の投稿を放置していたら「埼玉○○○○○○探す」さんが、最近投稿していた。それも旧町名の表札がメインとなっていた。
もっとよく探せば、旧町名の表札の表札も見つけられたのかもしれない。
まあ、後悔しても仕方ない。
また、その内、蕨市も再訪して、探索してみよう。
発見日 2021年5月20日
発見場所 埼玉県蕨市塚越丁目
ペンキが塗られ、真っ白けだが、文字が浮き出ているので、はっきりと分かる。
「東町」なんて旧町名に見えないが、れっきとした旧町名なのである。
歴史
1889年(明治22年)4月1日
蕨宿・塚越村が合併し、北足立郡蕨町となる。
1958年(昭和33年)
大字塚越の大半と大字蕨の一部は塚越末広町になった。
1959年(昭和34年)4月1日
市制施行。
1964年(昭和39年)
大字塚越の大半と大字蕨の一部は東町一~三丁目、丁張町一・二丁目になった。
1966年(昭和41年)
蕨市全域に住居表示が実施され、これらの町は塚越一~七丁目となった。
蕨市は5.11平方キロメートルで日本一面積が狭い市と言われている。区町村含めても、全国で8番目の狭さで、人口密度は1平方㎞あたり約14,000人で全国の市町村で最も高い人口密度を誇る。
「蕨」駅を降りて市を縦断すると、徒歩20分強、直線距離にして1.1kmほどでお隣の戸田市という小ささだ。ちなみに直線距離で4km、徒歩で1時間20分強で、蕨市の端から端まで横断することができる。
これだけ狭くても、なかなか見つからないのが旧町名。